バーテンダー 【Bartender】
2019年01月29日
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息子が連休を利用して、香港の競馬を楽しんでくると言うので、それなら夜は九龍サイドの
「The peninsula hotel」の『The Bar』のシニアバーテンダーのジョ二ーチョンさんのカクテルを楽しんで来いと話した。
ペニンシュラ香港は創業1928年は90年の歴史があり、シンガポールの「ラッフルズホテル」やロンドンの「サボイホテル」、ニューヨークの「ウォールドーフ アストリアホテル」やバンコクの「オリエンタルホテル」のバー内には共通したアールヌーボーの雰囲気がある。
それは現在まで当時の歴史を感じさせるからだと思いますます。
だが、シンガポールの「ラッフルズホテル」の『シンガポール スリング』カクテル誕生のロングバーは毎日そのカクテルを飲みたい為に観光客が押しかけるの事は、ホテルにとっては、有り難い事ですが、ペニンシュラ香港の伝説のバーテンダー ジョ二ーチョンさんの様にこのバーを60年以上の伝統を守るバーテンダーを育てた、名門ペニンシュラホテルの凄さも実感します。
「The peninsula hotel」の『The Bar』のシニアバーテンダーのジョ二ーチョンさんのカクテルを楽しんで来いと話した。
ペニンシュラ香港は創業1928年は90年の歴史があり、シンガポールの「ラッフルズホテル」やロンドンの「サボイホテル」、ニューヨークの「ウォールドーフ アストリアホテル」やバンコクの「オリエンタルホテル」のバー内には共通したアールヌーボーの雰囲気がある。
それは現在まで当時の歴史を感じさせるからだと思いますます。
だが、シンガポールの「ラッフルズホテル」の『シンガポール スリング』カクテル誕生のロングバーは毎日そのカクテルを飲みたい為に観光客が押しかけるの事は、ホテルにとっては、有り難い事ですが、ペニンシュラ香港の伝説のバーテンダー ジョ二ーチョンさんの様にこのバーを60年以上の伝統を守るバーテンダーを育てた、名門ペニンシュラホテルの凄さも実感します。
ペニンシュラ本館の一階にあるThe barの案内板に迎えられ、カウンターでオリジナル カクテルを楽しんで90年のバーの歴史は当時 横浜や神戸、香港、シンガポールは欧州航路の寄港地として発展して、各国の名門ホテルのバーは客船で旅した時代の船内バーのスタイルを踏襲してるように思います。
2018年09月14日
9月2日(日曜日)npk チャレンジカップ広島大会に、shooting club 9の会から前日の土曜日に7人のメンバーで雷雨の中を市内の集合場所で、7時過ぎに大型車一台で出発した。
阪神高速から山陽自動車道に入り途中3名の若手メンバーで運転を交代して広島ICに11時に到着した。
市内で昼食をとりたいと、開店したばかりの『広島風 お好み焼き店』で全員が広島焼を注文した。
大阪焼より広島焼はボリュームがあるのでびっくりした。
食後に明日のNpk CUPの練習に『広島国際射撃場』に向かうため国道54号線を北上すると途中から国道左側には、『西日本豪雨』や以前からの豪雨で山頂から山肌が崩壊して大きな災害が発生した。
9月に入り台風21号や北海道地震が毎日のテレビで報道して余りにも大きな被害に、胸が痛みます。
射撃場の入口も豪雨の影響で通行止めで、旧道を遠回りして到着したら雨も上がり、広島国際射撃場は1996年『第51回広島国体』を開催された射撃場はトラップ2面は緑の中の山頂の中伏にある、立派な射撃場でNPK CUP の常連さんで今年2月にタイ国親善大会に一緒に行った、関西のSさん達が練習しています。私達もSHOOTING CLUB のメンバーで次の組みで練習に参加した。
私は最初の2Rで21 21を撃ち大分前からの大会で銃身の先台がガタガタしていたので、気になり3R目に18点を撃ち終わりにした。
今回も広報担当者の やっさんが予約してくれた、ホテルと大会と楽しみの宴会を、広島市内のホテルに着いてから夕方ロビーに集合、店には歩いて5分の距離でした。
会長の乾杯の挨拶して全員で宴会が始まり昨年9月のNPK高知大会は鰹料理も楽しんだが、広島では牡蠣料理と瀬戸内海の魚も、刺身もうまく、話も咲き、よく呑んで楽しい1日が過ぎた。
大会当日の朝、定刻に全員集合して軽く朝食を済ませホテルから1時間弱で射撃場に着いて、私達は全員2組と3組に分かれて、トラップ競技は5組出来た。
大会は2射面を使用、私は昨日より少し心配してた銃の先台がセットできません。
メカに詳しいやっさんがすぐ来てくれて、先台を調べてくれたら部品が外れていた。
今日の試合では使用出来るように仕上げてくれた。
試合の点数はこんなもんです。
試合ではトラブルも無く、故障のままだとメンバーの応援以外には如何して長い一日中を山の中で過ごそうと心配した。
やっさん本当におおきに。
大会は地元射手の優勝の2人の競射に なり、3位入賞は私達のメンバーのR 副会長でした。私のFNのTrap gunは月曜日に行きつけの銃砲店に 持参して見てもらうと、かなりの重傷で修理に2週間ほど時間を下さいとの事でした。

広島市内を走るチンチン電車
昔は大阪も京都も市内を走っていたが、今では長崎、高知、松山、富山しか見かけなくなった。

1999年10月NBAバテンダー技能競技大会 広島大会
昨夜の飲酒で冷蔵庫のミネラルウオーターは空になり、早朝ホテルの外に出てミネラルウオーターを求めて出た。
路面電車も走りだして、乗りリーガロイヤルホテル前で降りた。
昔このホテルでNBAのバーテンダーが地区予選を勝ち抜いて、日本一を決める熱い闘いが繰り広げて広島大会で優勝した選手は、IBA 世界大会に挑戦する大会でもあった。
この大会で広島に来のが最後だった。
昔の広島の事を思い出してホテルまで帰り着いた。

SHOOTING CLUB 9 の広島大会 出場の7人のメンバー
写真は『やっさんのコーナ』BLOGより転載 後ろの3名のメンバーで毎回一泊の大会には長距離運転では、お世話になります。
左側のSさんは最近の大会では実力が安定してます。
やっさんは今回もお世話になりました。
夏の暑さには弱いので、これから涼しくなってShooting club 9の実射優勝の指定席に返り咲きます。
R副会長は今回も3位入賞でSHOOTING CLUB の実射優勝の常連です。
前の左側3人は、太平洋戦争を知る昭和男達です。
Nさんは、私と同じTRAP GUN はFN のC3です。
メンバーには沢山の競技銃を持っているが、 C3は2人だけです。
2人は酒の席では、『C3は時々故障するけどええ鉄砲や』2人して褒め合っている。
Aさんは昭和男の私と同年です。
いつも一泊する大会では、ドライブインで休憩時間には何時も差し入れしてくれる、気配りの人です。『なんぼ使っても減らんお金持ち』関西のタワーマンションの最上階の住人です。
セキュリティーシステムが日本銀行なみですので、泥棒は来ても無理です。
3人はたまに満射を撃ってメンバーを驚かすが、枯木にいつか花 を咲かすと頑張っている。
最後にSHOOTING CLUB9 の会長は創立当時からずっと会長で大変世話好きのリーダーシップが有りSHOOTING CLUB9は関西を代表するトラップ集団である。
阪神高速から山陽自動車道に入り途中3名の若手メンバーで運転を交代して広島ICに11時に到着した。
市内で昼食をとりたいと、開店したばかりの『広島風 お好み焼き店』で全員が広島焼を注文した。
大阪焼より広島焼はボリュームがあるのでびっくりした。
食後に明日のNpk CUPの練習に『広島国際射撃場』に向かうため国道54号線を北上すると途中から国道左側には、『西日本豪雨』や以前からの豪雨で山頂から山肌が崩壊して大きな災害が発生した。
9月に入り台風21号や北海道地震が毎日のテレビで報道して余りにも大きな被害に、胸が痛みます。
射撃場の入口も豪雨の影響で通行止めで、旧道を遠回りして到着したら雨も上がり、広島国際射撃場は1996年『第51回広島国体』を開催された射撃場はトラップ2面は緑の中の山頂の中伏にある、立派な射撃場でNPK CUP の常連さんで今年2月にタイ国親善大会に一緒に行った、関西のSさん達が練習しています。私達もSHOOTING CLUB のメンバーで次の組みで練習に参加した。
私は最初の2Rで21 21を撃ち大分前からの大会で銃身の先台がガタガタしていたので、気になり3R目に18点を撃ち終わりにした。
今回も広報担当者の やっさんが予約してくれた、ホテルと大会と楽しみの宴会を、広島市内のホテルに着いてから夕方ロビーに集合、店には歩いて5分の距離でした。
会長の乾杯の挨拶して全員で宴会が始まり昨年9月のNPK高知大会は鰹料理も楽しんだが、広島では牡蠣料理と瀬戸内海の魚も、刺身もうまく、話も咲き、よく呑んで楽しい1日が過ぎた。
大会当日の朝、定刻に全員集合して軽く朝食を済ませホテルから1時間弱で射撃場に着いて、私達は全員2組と3組に分かれて、トラップ競技は5組出来た。
大会は2射面を使用、私は昨日より少し心配してた銃の先台がセットできません。
メカに詳しいやっさんがすぐ来てくれて、先台を調べてくれたら部品が外れていた。
今日の試合では使用出来るように仕上げてくれた。
試合の点数はこんなもんです。
試合ではトラブルも無く、故障のままだとメンバーの応援以外には如何して長い一日中を山の中で過ごそうと心配した。
やっさん本当におおきに。
大会は地元射手の優勝の2人の競射に なり、3位入賞は私達のメンバーのR 副会長でした。私のFNのTrap gunは月曜日に行きつけの銃砲店に 持参して見てもらうと、かなりの重傷で修理に2週間ほど時間を下さいとの事でした。

広島市内を走るチンチン電車
昔は大阪も京都も市内を走っていたが、今では長崎、高知、松山、富山しか見かけなくなった。

1999年10月NBAバテンダー技能競技大会 広島大会
昨夜の飲酒で冷蔵庫のミネラルウオーターは空になり、早朝ホテルの外に出てミネラルウオーターを求めて出た。
路面電車も走りだして、乗りリーガロイヤルホテル前で降りた。
昔このホテルでNBAのバーテンダーが地区予選を勝ち抜いて、日本一を決める熱い闘いが繰り広げて広島大会で優勝した選手は、IBA 世界大会に挑戦する大会でもあった。
この大会で広島に来のが最後だった。
昔の広島の事を思い出してホテルまで帰り着いた。

SHOOTING CLUB 9 の広島大会 出場の7人のメンバー
写真は『やっさんのコーナ』BLOGより転載 後ろの3名のメンバーで毎回一泊の大会には長距離運転では、お世話になります。
左側のSさんは最近の大会では実力が安定してます。
やっさんは今回もお世話になりました。
夏の暑さには弱いので、これから涼しくなってShooting club 9の実射優勝の指定席に返り咲きます。
R副会長は今回も3位入賞でSHOOTING CLUB の実射優勝の常連です。
前の左側3人は、太平洋戦争を知る昭和男達です。
Nさんは、私と同じTRAP GUN はFN のC3です。
メンバーには沢山の競技銃を持っているが、 C3は2人だけです。
2人は酒の席では、『C3は時々故障するけどええ鉄砲や』2人して褒め合っている。
Aさんは昭和男の私と同年です。
いつも一泊する大会では、ドライブインで休憩時間には何時も差し入れしてくれる、気配りの人です。『なんぼ使っても減らんお金持ち』関西のタワーマンションの最上階の住人です。
セキュリティーシステムが日本銀行なみですので、泥棒は来ても無理です。
3人はたまに満射を撃ってメンバーを驚かすが、枯木にいつか花 を咲かすと頑張っている。
最後にSHOOTING CLUB9 の会長は創立当時からずっと会長で大変世話好きのリーダーシップが有りSHOOTING CLUB9は関西を代表するトラップ集団である。
2017年05月16日
大阪市内の図書館に『カクテルの日』について、全国の地方紙でバックナンバーの記事を調べに行ったら、栃木県の『下野新聞』は宇都宮で発行して宇都宮は『餃子とカクテルの町』で有名。
5月3日の『アスポ』で県内最高齢81歳バーテンダーがカクテル作りに『生涯現役』と写真入りで紹介されていた。
5月5日の『高知新聞』は『カクテル (雪国)の生みの親で91歳の現役バーテンダー』のタイトルで井山計一さんを取材していた。
山形県酒田市の店には毎夜、全国からカクテル『雪国』を飲みに訪れて毎晩、注文を受けたカクテルは自分で作り、今でも地酒を使ったカクテルを生み出して、研究心は旺盛だそうです。
5月3日の『アスポ』で県内最高齢81歳バーテンダーがカクテル作りに『生涯現役』と写真入りで紹介されていた。
5月5日の『高知新聞』は『カクテル (雪国)の生みの親で91歳の現役バーテンダー』のタイトルで井山計一さんを取材していた。
山形県酒田市の店には毎夜、全国からカクテル『雪国』を飲みに訪れて毎晩、注文を受けたカクテルは自分で作り、今でも地酒を使ったカクテルを生み出して、研究心は旺盛だそうです。
『洋酒天国』創刊号は1956年4月10日に第一号が発行して1964年2月15日が最終号61号で休刊した。
第一号からカクテル ノーメル賞の募集が始まり第六号の第六回のノーメル賞でこの企画は終わった。
毎回1万通近い応募作品があった。
第一回の『ノーメル賞を募ります』のコピーでは『これは ちょっと小粋で楽しい、いわばホームコクテールとでも申しましょうか、”しろうと”も”くろうと”も誰彼かまわず、ごく手軽に洋酒になじんで頂こうとの企画です。』と記され、洋酒天国第三四号の編集後記に『第三回ノーメル賞グランプリは『雪国』と決定しました。井山計一さん 、おめでとうございます。
ご応募下さいました方々に厚くお礼申し上げます。』たったの5行のコメントされた。
この有名になった『雪国』カクテルは寿屋のトリスバーやサントリーバーの常連たちのためのPR誌として、現在国内のカクテルブックにはどれにも掲載され、最高傑作のカクテル入りを果たした。
今秋には井山計一さんのドキュメンタリー映画 『YUKIGUNI』が公開される予定です。
山形出身の渡辺智史 監督で上映時間(100~120分)予定。
記録として残ると井山さんは楽しみながら撮影中のコメントが地元紙で語られている。
第一号からカクテル ノーメル賞の募集が始まり第六号の第六回のノーメル賞でこの企画は終わった。
毎回1万通近い応募作品があった。
第一回の『ノーメル賞を募ります』のコピーでは『これは ちょっと小粋で楽しい、いわばホームコクテールとでも申しましょうか、”しろうと”も”くろうと”も誰彼かまわず、ごく手軽に洋酒になじんで頂こうとの企画です。』と記され、洋酒天国第三四号の編集後記に『第三回ノーメル賞グランプリは『雪国』と決定しました。井山計一さん 、おめでとうございます。
ご応募下さいました方々に厚くお礼申し上げます。』たったの5行のコメントされた。
この有名になった『雪国』カクテルは寿屋のトリスバーやサントリーバーの常連たちのためのPR誌として、現在国内のカクテルブックにはどれにも掲載され、最高傑作のカクテル入りを果たした。
今秋には井山計一さんのドキュメンタリー映画 『YUKIGUNI』が公開される予定です。
山形出身の渡辺智史 監督で上映時間(100~120分)予定。
記録として残ると井山さんは楽しみながら撮影中のコメントが地元紙で語られている。

井山さんは現在全国高齢者バーテンダーでは日本一だと思います。
自分では『新しもの好きの道楽者』と話されて当時はバーテンダーはまだ未知のカタカナ職業人として、シャレ者の井山さんは戦後はダンスに熱中し仙台市でバーテンダー修業がはじまり1955年山形県の生まれた酒田市にバー『ケルン』を開店した。
1958年寿屋の『ノーメル賞』で応募作品『雪国』でグランプリを獲る井山さんの談話では『あったものを混ぜ合わせたら偶然できた。』と語られている。
自分では『新しもの好きの道楽者』と話されて当時はバーテンダーはまだ未知のカタカナ職業人として、シャレ者の井山さんは戦後はダンスに熱中し仙台市でバーテンダー修業がはじまり1955年山形県の生まれた酒田市にバー『ケルン』を開店した。
1958年寿屋の『ノーメル賞』で応募作品『雪国』でグランプリを獲る井山さんの談話では『あったものを混ぜ合わせたら偶然できた。』と語られている。









