2016年10月

2016年10月24日





10月20日東京から岩崎先生の教え子の方が来店してくれた。
岩崎さんが今年4月にお亡くなりになって2度目の来店でした。

東京ではbar.
ESTの渡辺さんのお店を贔屓にしていると話していました。
店から渡辺さんに電話をしてくれて、代わり渡辺さんの歯切れの良い元気な声を聴いて私より年齢が5歳上と話された今では東京では一番の現役バーテンダーと思います
知りあって40年以上になりました。


今年、岩崎さんが亡くなられて先生の想い出を話していたので、少し書いてみます。
4月9日現役の大阪芸術大学の教授で78歳で亡くなられました
大学教授の前は博報堂関西支社 、支社長代理として、
昔はクリエイティブディレクターとして果物の中で電球が光るCM『光のメ ニユー』でカンヌ国際広告祭のグランプリを受賞した。

1995年の阪神大震災の後に博報堂が被災地に配布した、被災者が安否を知らし会う伝信用カードを考案した一人でした。
このカードには電話も不通でしたので一番のアイデアとして震災の数年後に新聞でも報道された。
岩崎さんは当店に最初30歳の頃に博報堂の小林junさんと一緒に来店してくれました。
その後、岩崎さんのクライアントのM社の宣伝事業部の方達と何時も一緒にきてくれました。
当時、岩崎さん達はまだ2銘柄しか輸入されていなかつたモルトウイスキーが気に入って飲んでくれました。
博報堂から大阪芸大の教授になっても教え子達を連れてきて『君達が卒業して社会人になり地方に就職しても良いバーは何処でもあるウイスキーもバーも文化だから、今夜飲んでるウイスキーを飲めるように頑張れ』と話していた。

岩崎さんが亡くなられ 、その後に全国から教え子達が社会人になり店を訪ねてきて、先生の好きだった『THE GLENLIVET 』は今ではボトルから『UNBLENDED 』の文字は無くなつても岩崎先生を偲んで当店を訪ねてくれてます。



ボトルを楽しんだ人々
 THE GLENLIVET

このモルト ウイスキーは1970年頃サントリーにより輸入された。
数年後にはUNBLENDEDの文字は無くモルト ウイスキーに変わっていた。
サントリーの三鍋さんが当時、生産部長の鳥井信吾さんと来店してザ グレンリべツト グループのグレン グラントの角瓶20年物を飲んでくれたのを思い出しました。
三鍋さんの著書『ウイスキーの起源への旅』から引用します。
『ザ グレンリべツト、
この伝説のウイスキーの名前を恩師から聞いていたが、とても高価で貴重なもので 、飲む機会はなかった。遂にその味わいを口にする日が来たのは、1980年9月二週間の営業実習の最後の日、実習先の営業所で送別会を催してくれた。
二次会で和服姿のママさんがいるラウンジに連れて行ってもらった
好きな物を飲んでいいという営業所長のことばに(略します)棚の一番 端にはクリーム色の化粧箱に入ったザ グレンリべツトがつつましやかに置かれていた。それを見て体に電撃が走った。
その箱が私を呼んでいたのだ。(略)その箱は私の前に置かれていた。震える手で箱を開けると 、白い紙にグリーン色のボトルが出てきた(略)鉛シールをミシン目に沿って破り、コルク栓を開けた。突然瓶口から香りが噴き出して来たのだ。甘いバニラクリームの香りが広がった。私は恐る恐るグラスにザ グレンリべツトを注いだ。グラスに鼻を近づけ、香りを確かめる。それから口を付ける。ザ グレンリべツトは濃厚な味だった。(略)当時のスコッチはモルト も ブレンデットも香味のインパクトが強かった。今ではオールドボトルと呼ばれている当時のボトルを飲むたびに過ぎていつた日々がスコッチ ウイスキーにもたらした変化にある種の寂しさを覚える。』



 

コメント(0)ウィスキー 【Whisky】│  mixiチェック

2016年10月21日


岩手国体も終わり今年、初出場の選手は国体競技の経験が来年の公式戦にプラスになります。
 頑張りましょう。

毎年出場するべテランは「国体病」に感染しているが、免疫力もあるので今回実力が出なかった射手も来年の桜の花が咲く頃には予選会で彼らがトップを走ると直ぐ元気を取り戻すので心配なしです。

今年も国体会場では色々のドラマがあったと思います。
私も昔を思い出して書いてみます。

国体のテント村で競技の初日に隣のテーブルの選手が『これからえらいことが始まる、一緒に射撃場に行こう』と何も聴かずに出かけた。
国体会場の隣の県の近くの『漁師町』から初めて国体選手が初出場するので町から町長以下、町内会御一行が必勝 、OO君頑張れの幟と大漁旗も林立して、競技が始まった。

選手のスコアーボードに最初から赤色が並びだして、これは大変なことと町長以下も気付き、幟や旗をまるめて慌てて退散した。
他の国体でも初出場の選手が私の隣の射台になって競技中に審判から射台から足が出ていると警告されてからは、撃つ度びにボードに赤色が並びだし止まらず、後ろで選手の監督も顔が赤色に染まってた。
 
今年も国体会場の射台の中で色々のドラマが展開されたと思います。
選手の皆さん競技進行者、ボランティアの皆さんご苦労さまでした。


国体クレー射撃のこと
 岩手地元選手大きく報道(岩手日報より転載)

岩手スキートチームは団体戦2位と個人戦も2位入賞は地元開催の中でプレッシャーにも勝つて立派です。
46年前の『岩手国体』でもスキートチームは優勝でした。
個人戦も優勝でした。
隣りの県から出場した 、JUNさんは岩手国体では『ホーム タウン デシジョン』のように練習も出来て、てっきり入賞すると思っていたので4R目のスコアーは信じられません。残念です。
次回開催の「愛媛国体」を目指して頑張ってください。
応援しています。


 

コメント(2)クレー射撃【Clay shooting】│  mixiチェック

2016年10月12日


岩手国体のクレー射撃競技も終わり、トラップ競技は個人も団体戦も奈良県立クレー射撃場を数十年前に閉場し現在も無射撃場県の奈良県のチームが優勝し驚きました。
おめでとう。

岩手県の隣の宮城で『トラップ シューター』の方が毎回クレー射撃のブログを更新されて、私は勝手に同志のように思って楽しく読んでいます。

10月1日に浜田省吾の宮城公演のブログを楽しく読み、掲載された写真の『ツアートラック』の車体に大きく『SHOGO HAMADA』と大きくペイントしたロゴマークを見て遠い昔を思い出しました。
夜は静かになる大阪、中之島のオフイス街にあるコンサート会場があるビルの前を通ると多数の会場に入ることの出来なかった”オーディエンス”と前の駐車場には2,3台のツアートラックが駐車されて車体のロゴの『SHOGO HAMADA』を見ても当時、私は知らなかったので通り過ぎたくらいでした。

その後、数年して、浜省のことでは、運命の人と出会って1996年に浜省のリリースされた『ROAD OUT "TRACKS"』をその方にプレゼントされました。
草々にCDを聴くと 、浜省のライブ公演では、外れる事のない「J.BOY 」を聴くといきなり、隣でライフル銃の マグナム装弾を撃たれたような衝撃を感じた。

手もとには数10 枚ある浜省のCDでは[the HISTORY of SHOGO HAMADA since1975] が好きです。
その後は無理なお願いして浜省のプラチナ チケットを手に入れてもらい、ライブ公演に 夢中になり、彼のブログの中でも書いている浜省の『年代チエック』が私も胸に響きだして今では時々CDをCAR RADIOで楽しむくらいになった。
宮城県総合運動場にあるセキスイ ハイムスーパーアリー ナのライブは10月1、2日は仙台は浜省の思い入れの深い場所ですから全力投球されたと思う。
そう浜省は『広島カープ優勝」喜んでることと思います。


星の指輪
 星の指輪

星の指輪をカクテルにして飲んでみたいと言われて「ああでもない、こうでもない」と 、何度か作り何杯目かで気に入ってもらいました。
今回ブログのために、数10年ぶりに作りました。

遠い昔の夜空に彗星の如く輝いた流星それは『星の指輪』





 

コメント(0)カクテル 【Cocktail】│  mixiチェック
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INFORMATION
DSC_0229-名刺用
STAG BAR KIMURA

1962年12月20日
北新地永楽町45番地で開店
1978年 7月20日
現在地イトヤビルに移転
2020年 1月24日(金曜日)
店を閉店致しました。
永きに渡りたくさんの方々より、 ご厚情を賜り、 感謝の気持ちとともに ここに厚く御礼を申し上げます

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