2016年02月
2016年02月26日
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今月20日、午後11時のNHKテレビニュースで今年開催のリオ五輪で、女子スキート競技のアジア予選会で1位になった栃木県鹿沼市の石原奈央子を日本クレー射撃協会は20日の理事会でリオ五輪代表に決めたと放映した。
21日の日刊紙のスポーツ版にも載った。
この種目で日本女子の五輪出場は初めて。
1968年、メキシコ五輪でクレー射撃のスキート種目が決定して日本人では8年後のモントリオール五輪に当時36歳の麻生太郎元首相が日本人で初出場してメダル候補でしたが本番では実力を発揮できませんでした。
石原選手の父、敬士さんも麻生選手と同年齢で4年後のモスクワ五輪に選ばれたが、日本が参加をボイコットしたため出場できず、今回の娘さんの出場をお父さんは一番喜ばれたと思います。

石原奈央子選手(中央)

スキート射撃フォーム(石原奈央子)
スキート選手の石原選手の父は当時麻生選手のライバルで1976年モントリオール五輪に麻生さんが出場すると、1980年のモスクワ五輪を決めた。
父も娘さんも海外試合のメダル獲得者で今年はリオ五輪のトラップ出場の中山射手と二人の活躍が楽しみです。
男の射手は1992年バルセロナ五輪トラップ種目の銀メダルを獲ってからは長い間低迷中です。
21日の日刊紙のスポーツ版にも載った。
この種目で日本女子の五輪出場は初めて。
1968年、メキシコ五輪でクレー射撃のスキート種目が決定して日本人では8年後のモントリオール五輪に当時36歳の麻生太郎元首相が日本人で初出場してメダル候補でしたが本番では実力を発揮できませんでした。
石原選手の父、敬士さんも麻生選手と同年齢で4年後のモスクワ五輪に選ばれたが、日本が参加をボイコットしたため出場できず、今回の娘さんの出場をお父さんは一番喜ばれたと思います。

石原奈央子選手(中央)

スキート射撃フォーム(石原奈央子)
スキート選手の石原選手の父は当時麻生選手のライバルで1976年モントリオール五輪に麻生さんが出場すると、1980年のモスクワ五輪を決めた。
父も娘さんも海外試合のメダル獲得者で今年はリオ五輪のトラップ出場の中山射手と二人の活躍が楽しみです。
男の射手は1992年バルセロナ五輪トラップ種目の銀メダルを獲ってからは長い間低迷中です。
2016年02月04日
大相撲初場所は東京で千秋楽を首位の琴奨菊は大関対決で豪栄道と立ち合いすぐ、土俵際で粘る相手を突き落とし優勝を決めた。日本勢力士で10年ぶりの優勝は号外まで出た。
当店がオープンした1962年は45代若乃花が夏場所前に引退を発表し、49代横綱栃ノ海が夏場所を優勝した。
両横綱は北海道の次に横綱を輩出した青森県出身でした。
当時、毎日のように来店してくれた木村化工機の創業者、木村秀吉社長も青森県八戸市出身で歴代青森出身横綱の「タニマチ」では有名でした。
店は大阪場所が始まると「大相撲部屋御用達」のようになりました。
スペースも現在の2倍の広さでした。
店内で使用するグラスに『バケツ』と呼ばれるグラスがあり、当時、力士御用達のグラスでした。
力士の手形の色紙を見かけたら一度手形に手を合わせてみてください。
力士の手の大きさが理解できます。
“小兵の技能派横綱”と呼ばれた栃ノ海さんもカウンターでそのグラスで飲まれると普通サイズのようでした。
1本のボトルをそのグラスで飲むと4~5杯で空になりました。
力士は横綱に早くして昇進を果たしても「心・技・体」も達するのか飲み方もスマートで強く物静かで“武士のオーラ”を感じました。
最近まで店内には『バケツと呼ばれたグラス』は1個だけあったが今は見当たりません。
来月は大阪に春を呼ぶ「東大寺のお水取り」と「大阪場所」が始まります。

伊藤さんのこと
金屏風の前に立っていると伊藤さんが私たちの国体の優勝祝勝会に来てくれた写真です。
伊藤さんの父は北陸出身「草相撲」の実力者で息子の伊藤さんもお父さんの希望で大相撲の世界に入りました。
お姉さんは、北海道の出身41代横綱、千代の山と結婚して横綱が引退すると「九重部屋」を創立して“おかみさん”になりその後「九重部屋」は何人も横綱が誕生した。
伊藤さんも父が大阪ミナミに創業した料亭「花月」を継ぐことになり引退しました。
店は財閥系の会社の役員たちが利用する有名店でした。
その後伊藤さんはクレー射撃のA級選手としても活躍しました。
私の隣の森川先輩は岐阜国体の優勝者です。





