2014年12月
2014年12月30日
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今月17日竹鶴威さんがお亡くなりになりました。
享年90歳でした。
威さんは、マッサンの姉の子供でマッサンには子供が居なかったので、マッサンのウイスキー造りの技術を継いでもらう為に養子になります。
竹鶴威さんは、最初当店に田沼ニッカ大阪支店長と一緒に来店してくれて、名刺を戴いた時はニッカウヰスキー余市工場長でした。
その後1965年カフェグレーンをブレンドした「ひげのブラックニッカ」を発売し、秋の大阪のホテルで発表会の日にマッサンの次のニッカの2代目社長になった弥谷さんや、マッサンとも一緒に来店してくれたことを思い出しました。
ご冥福をお祈りします。
peated whisky
先週のマッサンはやっと国産初の鴨居ウイスキーに社運を賭けて発売したが評判が悪かった。
「焦げ臭い、煙臭い」と悪評で売れんかった。
マッサンはスコッチの技術を踏襲したので、今風のアイラピートウイスキーを飲んだようなもので、ニッカウヰスキーも最初1980年代にラフロイグを発売したら鴨居ウィスキーのように煙臭いと悪評ぷんぷんで1年で輸入中止でした。
現在人気のピートウイスキーはスペイサイドでも造られ出した。
だがハイランドのウイスキー業者の中にはピートウイスキーを“外道のウイスキー”と悪く言う人もいます。
現在人気のピートウイスキーはスペイサイドでも造られ出した。
だがハイランドのウイスキー業者の中にはピートウイスキーを“外道のウイスキー”と悪く言う人もいます。
2014年12月22日
今月は「マカダミアナッツ」リターン騒動や「カップ焼きそば」虫混入などが週刊誌やネットを通じて騒動になりました。
昔、ウイスキーでも私の親しくしていた、洋酒の営業マンが同じような騒動を経験した話を書きます。
営業マンの彼は出社すると上司から「ウイスキーに虫が入ったボトルを持っている」とお客さんから連絡が入り「事情をよく聞きそのボトルを回収するため」訪ねたら、彼にはボトルを見せてくれず「こんな珍しいウイスキーはコレクションしたい」と相手にされず、彼は半日もやりとりに疲れて、やっと持参したウイスキーと交換した。
その「ボトルの底には立派な黄金虫が金色に輝いていた」そうです。
その後そのウイスキーは会社のベストセラーになりました。

the Ancestor
デュワーズのプレミアムが「アンセスター」の銘柄で復活しました。
近年、ブレンデットのプレミアムで有名銘柄が市場から消えていたがヴィクトリア朝のシンプルなラベルで登場しました。
デュワーズの「ヴィクトリアヴァット」も「ネプラスウルトラ」も今では製造中止になり、オークションアイテムになってしまいました。
昔はプレミアムブレンドでは人気が高かった。
現在では、モルトウイスキーが世界の表舞台に登場してもまだ、ブレンデットの出荷量の1割くらい。
アンセスターの空箱を解体したら中からアバフェルディ蒸留所の100年前の蒸留所の人々の写真が印刷されていた。
2014年12月16日
先月、週末に息子が神戸の友達と来店してくれた。
友達はグレンフィディックを注文して楽しそうに、年代別の熟成や使用する樽の違いなどを楽しんで、タイプ別の数本のグレンフィディックを飲まれた。
最後の1本に(下の)写真の壺の陶器製を封切して出してあげると、嬉しそうなこの上もない表情が伝わってきた。
昔ガラスボトルが発明されるまでは、オランダやドイツのジンもスコッチも日本酒も陶器製に詰められていた。
現在では陶器製は費用が嵩み量が外から見えない等でガラスボトルが主流になった。
Glen Fiddichの壺
1860年代にブレンドウイスキーが誕生してハイランドのモルトウイスキーは消滅しかけたが、1960年代初期にグレンフィディック蒸留所の「グラント一族」がモルトウイスキーを元詰して発売した。
当時としては、ブレンデッドが主流でモルトはマテリアルとしてグレーンで薄められエジンバラやグラスゴーのブレンダーやウイスキー業界からは「ハイランドの田舎者が世間知らずの賭け」に出たと笑い者にされた。
モルトウイスキーのパイオニアとして近年ではグレンフィディックは年間100万ケースを出荷して、インディペンデントのウイスキー企業の中でスコットランド一番の金持ちになった。
日本でもグレンフィディックは発売数年後に大阪の商社、日食が輸入した。
昔、諺に「え~もん(良いもの)は関西から」がありました。
戦後日本には最初に輸入されたモルトウイスキーでした。
2番目は「スミスのグレンリヴェット」これも大阪のウイスキーメーカーが輸入した。







