2014年11月
2014年11月26日
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焼酎や日本酒の場合は銘柄に歴史上の人物をブランドにしている銘柄はあまりありません。
モルトウィスキーは蒸留所のある地名を銘柄にしているケースが多いですが 、ブレンデットは王様名や女王のネーミングをブランド名にしているウィスキーは結構あります。
キング名では、
「キングエドワード1世」「キングロバート2世」「キングヘンリー8世」「キングジョージ4世」
女王では、
「クイーンエリザベス1世」「クイーンメアリ」「クイーンアン」
などが知られています。
有名人では探検家で英国に「タバコ」をもたらした「サー・ウォルター・ローリー」や「ロバート・バーンズ」はスコットランドを代表する詩人。

キングオブスコッツ
ボトルのキングは誰だろうと、裏のラベルの説明書では「キングロバート一世」と記されていました。
ロバート・ブルースはスコットランドを代表する英雄としてエジンバラ城の入り口にロバート1世の像とウィリアムウォーレスの像が左右対称に立てられている。
ウォーレスは1995年ハリウッド映画「ブレイヴハート」がメル・ギブソンのウォーレス役で大ヒットしてウォーレスの名は世界に知られるようになり、メル・ギブソンもこの作品でアカデミー賞を受賞しました。
2人のスコットランド王はイングランドに独立の戦いを王位を賭けてウォーレスはスターリングの戦いで
イングランド軍に勝利するが、ダンバートンでイングランド軍に捕まって 刑場で散り、ウォーレスから始まった独立の道はロバート1世に引き継がれてイングランド軍を大破さし、スコットランドは独立を勝ち取った。
1314年6月でした。
2014年11月17日
先週、業界誌の方が来店してくれて「マッサン」の鴨居商店、社長モデルの鳥井信治郎が初めて飲んだウィスキーは何だったんだろう?という話になりました。
ミステリアスで面白い話なのでいろいろと想像をめぐらして調べてみました。
1850年代から幕府や明治政府により横浜・神戸・大阪が開港されだすと「外国人居留地」でヨーロッパ商人たちにより、洋酒が輸入されて一般的にはウィスキーは1871年横浜のイギリス商館、カルノー商会により「猫印ウィスキー」が最初の輸入と記録されている。
当時、横浜で最初に発行された英字新聞「ジャパンヘラルド」の広告の中で洋酒輸入販売店の「ベイカー商会」の販売品「蒸留酒」ではブランデー・ウィスキー・ラム・ジンが1862年1月4日の紙面に掲載されている。
また横浜で最初に外国人の経営ホテルが1860年2月にオープンした「横浜ホテル」がジャパンヘラルドの1864年のホテル広告に「WHOLE SALE」と記されて
BRANDY「Otard」「Martell」「Hennessy」
WHISKEY「Bourbon」「Irish」「Scotch」
数量が多いのか銘柄が記されていません。
他ではワイン・リキュール・ジンや小売も卸売もホテルで販売されたことが理解できます。
King of Kings
「キング オブ キングス」は明治初期に日本に輸入されたスコッチの代表として「オールドパー」や「ジョニーウォーカー」も輸入され出し、明治の一握りの“リッチマン”たちや居留地の外国人たちに楽しまれた。
当時高価なスコッチも鴨居商店の社長やマッサンたちの努力で現在では誰もが愛飲できる嗜好品として広がりました。
鳥井信治郎やマッサンたちはこの3本の銘柄のどれかを初めて口にしウィスキー造りの目標として国産化に大変な苦労と失敗を経験して国産化した。
2014年11月09日
先週、常連の方が札幌の友達と来店してくれました。
「マッサン効果」が出たのか、余市のウイスキー蒸留所は、昨年より見学者が全国から沢山来訪していると報告してくれました。
昨年、スコッチウイスキーの出荷量はモルトウイスキーの単一銘柄では1位が100万ケースとブレンデッドでは1300万ケースとスコッチウイスキーは海外市場で好調のようです。
スコットランドでブレンデットウイスキーが1860年頃より誕生して海外市場に輸出され、成長しながら150年が過ぎました。
マッサンがスコッチウイスキーの製造技術を日本に踏襲して、国産ウイスキーも85年が過ぎました。
次は国産ウイスキーが海外市場を量で攻める日が来るでしょうか?

スコッチウイスキー1900年初期のラベル
どのラベルにも「ブレンデッド」が記入されていません。
まだこの時代はグレーンもブレンドもウィスキーと呼べなかった、右のボトルだけ「ハイランドモルト」ウィスキーと記載されています。
ブレンデットがウィスキーと呼ばれだしたのは「ウィスキー論争」が決着した1909年7月でした。

グラスゴーのWP・ローリー社1898年
ボトルの洗浄とブレンドウィスキーのボトリング風景で1898年はウィスキーブームがピークの年でスコッチウイスキー業界のブレンデットで成功したように見えた、エジンバラの「パチソン社」が会社を大きくし、野放図経営で12月6日倒産した。
ニッカウヰスキーの「ひげのウヰスキー」のモデル、ウィリアム・P・ローリー社長も経営危機になり、ブレンドウィスキーの「キングオブブレンダー」と称号を与えられたローリーも親友のジェームス・ブキャナンに会社を売渡した。






