2014年05月
2014年05月26日
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今月は五月晴れが続くと思っていたら、涼しい日になったり気温がよく変化します。
夏日のような夜は清涼感のあるミントリーフを潰したモヒートで一杯と、近年人気のカクテルは居酒屋のドリンクメニューにまで登場しています。
モヒートのベースになるラムは、1620年代に、カリブ海諸島のバルバドス島を植民地にしたイギリスにより「サトウキビ」が持ち込まれ製糖を目的にした「サトウキビ・プランテーション」が発展しカリブ海の他国の植民地にも広まる。
バルバドスはグレープフルーツの原産地としても知られています。
またモヒートに使用するライムはヨーロッパから入植者によりライムの苗木が移植されてカリブ海諸島に広まります。キューバに滞在してヘミングウェイに愛飲された本格的モヒートも近年は「マティーニ」がフルーツマティーニに変化したようにモヒートも「フルーツモヒート」化が進んでいます。
またモヒートに使用するライムはヨーロッパから入植者によりライムの苗木が移植されてカリブ海諸島に広まります。キューバに滞在してヘミングウェイに愛飲された本格的モヒートも近年は「マティーニ」がフルーツマティーニに変化したようにモヒートも「フルーツモヒート」化が進んでいます。
モヒートカクテル
日本のカクテルBookにモヒートが登場したのは、1962年発行の木村与三男さんの「カクテル全書」が最初だと思います。
このカクテルBookは日本で初めてビジュアル化され、カクテルをカラー写真で印刷したBookは評判になりベストセラーになりました。
木村さんはバーテンダーとして、大阪梅田の寿屋直営店のサントリーバー1号店に入店したが、1938年満州事変が始まると統制経済になり国内では仕事がしづらく満州に渡り新京の第一ホテルから「ヤマトホテル」に移り新京のヤマトホテルのバーは東京帝国ホテルのように立派でバーには関東軍の高官と来た「ラストエンペラー溥儀」にカクテルを何度か作られたそうです。
バーは満鉄関係の幹部たちやその中でも木村さんが勤めだした以前から「満州映画協会」の甘粕理事長がこのホテルのVIPルームを終戦まで「満映」が常宿にしていたので甘粕理事長はよくバーを利用して、カウンターのいつもの指定席で葉巻とスコッチを楽しみ、いちど木村さんは甘粕の目の前でスコッチボトルで底の少量のウイスキーを注いで出したら、甘粕は「瓶底のスコッチは俺は飲まない」と叱り飛ばされて席を立たれて、その後は親しくなり可愛がられてとても「大杉栄事件」の甘粕大尉とは私は思われないと言っていました。
甘粕正彦はおしゃれでダンディーで怖い反面木村さんは父親ほどの年齢の甘粕理事長を慕い可愛がられたそうです。過酷な時代を生きた歴史上の人物の話をもっと木村さんに話してもらっておけばよかったと思うこのごろです。

カリブ海の島々
2014年05月20日
雨の午後に梅田地下街にある書店に出かけた。
ウイークデーの今夜は店も“ヒマ”だろうと、面白そうな文庫本でもと、そのコーナーに立つと「ウイスキーボーイ」が目に飛び込んできた。
作者は「マスター・ウイスキーください」や「ビア・ボーイ」を読んだことがある吉村喜彦の最新作で、これに決めたと店に持ち込んだ。
読み出すと止まらなく面白く、そこにふたり連れのウイスキー通が来店したので「うまいウイスキーをご馳走するから2人で仲良く飲んでて」と2人の前にボトルを出して続けて読み切った。
うまいウイスキーを楽しんだようにアフターテイストが長く舌に残った気分。
2人はこちらを見てニコニコ笑った。
「ライバル商品の台頭、口だけの上司、社内政治に長けた同僚…、みんなまとめてかかってこいー 支店から本社の宣伝部に復帰した上杉」面白い。
最近見たテレビドラマの鈴木商店の金子直吉の若い頃と上杉が“ダブル”。
主人公の上杉はウイスキーと宣伝が好きでこの会社に入った。
「甘くねっとりとした桃の香り、アイスクリームのようなバニラの香り、やがてマンゴーの香りが立ってきた。」この本のどのページを開いてもうまいウイスキーのトップノートが心地よく広がってくる。
2014年05月13日
滋賀国体が開催された頃、信楽に国体クレー射撃場が新設された。
その当時クレー射撃場で私と親しくなった先輩が福井と長崎国体に
先輩はJRAの競走馬の馬主で(予想紙に名前の載る馬主)滋賀公式の射撃の試合のある日は「栗東トレセン」のホテルのような宿舎に私も泊めてもらい翌日は早朝から始まる先輩の競走馬の「追い切り」を見学して試合に出かけました。
栗東トレセンは関西馬のJRAの総本山のようで広い施設内には厩舎や何重にもなった競馬場のようなのコースがありJRA関係者が住む城下町のようでした。
射撃の試合のない休日に先輩に「阪神競馬場」に誘われて出かけました。
この日は先輩の馬が出走する日で、騎乗は武豊でした
予想は〇印くらいだったと思います。
牝馬で名前は「モナリザ」か「ルージュ」だったと思います。
この「じゃじゃ馬娘」の彼女は気性が激しく、なかなかゲートインしてくれません。
やっと最後に「ゲートイン」したらスタートと同時にスタンドから大きな悲鳴があがり、私は何が起きたのか驚いたら彼女が武豊騎手を振り落として、4コーナー手前まで先頭で駆け抜けていきました。
やっと最後に「ゲートイン」
武豊騎手は1987年3月阪神競馬場でデビューし、この年69勝、若き日の彼がデビューして2度目の落馬で天才ジョッキーは怪我もなく無事でした。
アメリカンウイスキーのメッカであるケンタッキーでは毎年「ダービー」にバーボンウイスキー記念ボトルが限定生産される。
このボトルは2002年に発売された第128回ダービーボトルで「ウッド フォード・リザーブ」はバーボンでは唯一ポットスティルで蒸留されるウイスキーです。
ボトルには2頭のダービー馬がゴールに駆け込むイラストが写っています。








