2014年04月
2014年04月30日
|
|
4月23日オバマ大統領が来日しました。
夜は、安倍総理が銀座の寿司屋「すきやばし次郎」で大統領を迎え、店内で名人の握る"すし”を楽しんだ後に記者団に囲まれ大統領は「おいしいすしでした」と話された。
ハワイ育ちであった大統領は和食には目がないようです。
翌日、両陛下が大統領を宮殿にお出迎えされ、宮中晩餐会では宮内庁大膳課のシェフが自慢の腕を発揮されたそうです。
大統領は子供の頃より「抹茶アイス」が好物で、デザートの富士山風アイスクリームは頂上がバニラ、裾野は抹茶アイスで作られていたのを喜ばれて帰り際、両陛下に「抹茶アイスありがとうございました」と笑顔で話されたそうです。

宮中晩さん会のメニュー
メニューはゲストの好みを何度も練られてメインディッシュからワイン、デザートまで水面下で「晩餐会」外交が始まります。米国最高のゲストの“おもてなし”を最高のコンディションでお迎えするために。
当日のメニューの「ドリンク」を紹介します。
----------------------------
----------------------------
食前:(ワイン)サンデマン・ミディアム・ドライ
食中: コルトン・シャルルマーニュ1999年
シャトー・マルゴー1994年
ドン・ペリニョン1998年
食後:(コニャック)ヘネシーエクストラ
(ウィスキー)バランタイン30年
(リキュール)コアントロー、ペパーミント
----------------------------
2014年04月21日
昭和の「クラブ」や「バー」が元気な頃にバーテンダー協会の役員たちが「寿屋」の山崎工場を見学に訪れて「御一行様」が見学後に京都で宴席が設けられた。
「寿屋」の創業者が挨拶で「アンさんたちが、日頃よう頑張ってスコッチ・ウイスキーを売ってくれるので今日、見学してくれて見ての通りにウイスキー樽を貯蔵庫に溢れさせてくれて、おおきに」と言われて、役員たちは驚いて料理の天ぷらを喉に詰めて目を白黒させたらしい。
「寿屋の社運を賭けた、国産第一号の『サントリー白札』を1929年に発売したが、市場の反応は「焦げ臭い」「煙り臭い」と悪評で1932年に「角ビン」を出したら売れなかった。」と“サントリー百年誌”に記されている。
ネプラス・ウルトラとアンセスター
この時代ブレンド・ウイスキーでは英国でも「BIG・5」と呼ばれた「五大名家」のブレンデッド・ウイスキーは日本でも「ジョニ黒」「白馬」「白札」「白黒」「ピンチ」とニックネームで呼ばれるほど有名でした。
当時はキャラクターのあった、ブレンドの高級品だった「ネプラス・ウルトラ」や「アンセスター」も今では世代交代し消え去りました。
2014年04月14日
4月6日(日曜)は、銃砲店のクレー射撃会があり、
射場入り口から続く桜並木は満開でした。
大会が始まると空模様が怪しくなり、風が強くあられが降り出し、射手も寒さでトリガー(引き金)の落ちも悪く成績も思うように伸びません。
私も悪戦苦闘のなか、何とか優勝させてもらうことができました。
ただ、花冷え以上の寒さは春の花見を一緒に楽しむ事は無理でした。
チェリーブロッサム・カクテル 射撃場の満開のチェリーブロッサム
春を告げるチェリーブロッサム・カクテルは明治生まれの田尾多三郎により創作され、1930年発行された「サヴォイ・カクテル Book」にレシピが載っている。
田尾多三郎のプロフィールは、良くは知られていません。
大正年間貿易会社の南米アルゼンチン支社長として活躍し帰国後、横浜でカクテルバー「パリ」を1923年12月に開店、戦後は野毛山に移転して1963年に常盤町のビル1階に移転、1971年に他界されて、奥様の幸子さんに店は引き継がれ、田尾多三郎の若い頃の写真を拝見しましたが、ダンディーな方で1955年11月のANBA発会式に出席の記録が残っています。








