2013年11月

2013年11月25日





大阪中央図書館で高知新聞のバックナンバーから「龍馬賞」の記事を探していたら学芸欄で懐かしい方の名前を見つけました。


「歌集」を出版された岡崎洋一郎さんの紹介記事でした。
岡崎さんは国体のクレー射撃の名射手として活躍した方でした。
そのことで投稿したら掲載されたので一部転載します。


岡崎さんはクレー協会の役員や選手として、岩手国体(1970年)に初出場し選手、監督で18回出場した大先輩です。
私の最後の国体出場になった東四国国体(1993年)は、徳島の穴吹クレー射撃場で競技が始まり、高知は岡崎監督で初の総合優勝した凱旋監督でした。
高知は競技初日から首位の東京に1点差で2位につけます。
私たち大阪は出遅れて30位のスタートになり3日目にやっと高知と同点に追いつき、横一線に並んだと思ったら高知はファイナルで撃ちあげて大阪も入賞はしたが、高知は総合優勝の表彰台で岡崎監督以下クレー射手も輝いていました。


 

IMG_0001
 協会長より総合優勝のブロンズ像を受け取る岡崎監督

このブロンズ像は私も鳥取国体(1985年)に初出場で大阪が兵庫国体(1956年)より29年ぶりに手にして監督からこの難しい鳥取のクレーをよう頑張ったと最初に持たしてもらったが重たかった。
大試合に経験豊富なナショナルチームメンバーの多い大阪でもなかなか獲れなかった。
岡崎監督の手に獲ったブロンズ像、今でもよく覚えています。




IMG

 東四国国体の会場

国体用に設立された射撃場でしたが数年後にクローズしました。
トラップ射撃場は私は好きな射場でした。
スキート射場は大阪の選手はクセのある射場で撃ちづらいと言っていた。
私は選手時代に全射協の四国選手権(香川、財田射場1972年)では千葉の井上選手に負けて2位。
日クレの四国選手権(高知、ミロク射場1989年)でも徳島の矢野選手に負けて2位になり、四国の公式戦では一勝もできませんでした。




コメント(2)クレー射撃【Clay shooting】│  mixiチェック

2013年11月18日


当店の常連の方で来店のたびにカクテルをベースごとに飲まれます。

今夜は「ウイスキーベース」、またの日は「ラムベース」とそのたびに数杯飲まれます。

こういう飲み方は他には見かけません。

その方が昨年、高知に仕事で出張するのでカクテルの店を紹介して欲しいとのことで、阪急ホテルの高橋さんを紹介したら、出張のたびに行っているとのことでした。

今月来店してくれたのでNBAの「BARTENDER」11月号のプラハ大会の高橋さんの記事を見せると、高橋さんは今年から東京のホテルに移ったとの話でした。

今月の高知新聞で「県内の報道機関で作る、様々な分野で業績をあげた団体個人を対象に選考された今年の龍馬賞をもらった」と地元紙に載ったとの話だったので、その記事を中央図書館にある新聞のバックナンバーを見に出かけました。
 

 

無題

IBA世界大会で食前酒カテゴリーカクテルでワールドチャンピオンになった高橋選手。高知新聞より転載
 

「龍馬賞」は龍馬の誕生150年に当たる1985年に創設された。

11月1日第28回の同賞にカクテルコンペティション世界大会で優勝の高橋直美さんが受賞した。

高橋さんは現在パレスホテル東京に移り、高知出身で今月17日NBA高知支部主催「チャリティーカクテルパーティー」に出場するために凱旋して「受賞作品ウィステリア」を振る舞ったそうです。

 

 

 

 


コメント(0)カクテル 【Cocktail】│  mixiチェック

2013年11月12日


64年開催した東京五輪は来年で50年を迎えます。

東京五輪のクレー射撃場は所沢市にあり、63年10月埼玉県所沢市が土地、3万坪を買収して当時のクレー射撃協会の麻生太賀吉会長(現在の麻生太郎会長の父)が代表で1万坪を買って、クレー放出機はイタリアから購入しオリンピック射場を完成させた。

当時のクレー射撃の会長は金持ちが多く、前会長のコノミ会長は有名人の利用する東京温泉の社長で、その前会長は「蛍雪時代」の旺文社の社長の赤尾会長でした。

麻生会長も自民党議員と福岡の炭鉱とセメント会社の経営者でした。

オリンピックは莫大な資金を消費したため金持ち会長達の資金協力があったと思います。

クレー射撃はプレオリンピックでは、インドのマハラジャが1位になったりして、立派なクレー射場でした。オリンピックを麻生会長は成功させて退任すると次の会長は埼玉県選出の大物代議士が就任してこの会長からクレー協会の“お家芸”になった騒動が始まりました。

 

 

 

クレー射撃
東京5輪金メダリストのエンニオ・マタレリ(イタリア)朝日グラフより転載
個性ある両足を広げたスタンスは日本の射手に流行しました。
200射の198点は世界新で使用銃はイタリアの当時無名のペラッティでした「 MX8 」は次のメキシコ五輪の「1968年メキシコ」のブランドにして発売して日本の射手にも流行しました。
五輪の日本代表、愛知の佐波光男さんは私の師匠の師匠でした。
当時27歳の佐波さんは189点を撃っても入賞には至りませんでした。
翌年のチリ世界選手権で5位入賞を果たした。
私の師匠の新里勲さんも1967年の所沢射場で開催したアジア選手権で300射で290点を撃って3位入賞です。昔の射手はオリンピック射場の難しいセットで記録を残し立派です。






コメント(4)クレー射撃【Clay shooting】│  mixiチェック
Blog RANKING
にほんブログ村 酒ブログ 洋酒へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
ブログランキング ブログランキングならblogram
にほんブログ村 その他スポーツブログ 射撃へ
INFORMATION
DSC_0229-名刺用
STAG BAR KIMURA

1962年12月20日
北新地永楽町45番地で開店
1978年 7月20日
現在地イトヤビルに移転
2020年 1月24日(金曜日)
店を閉店致しました。
永きに渡りたくさんの方々より、 ご厚情を賜り、 感謝の気持ちとともに ここに厚く御礼を申し上げます

RSS
livedoor Readerに追加
My Yahoo!に追加
Googleに追加
RSS