2013年09月

2013年09月25日




ブエノスアイレスで開かれた2020年の開催都市はドラスチックな日本のプレゼンスピーチがIOC委員の心に伝わり、早朝テレビに夜通しこの瞬間を見守っていた人たちは多かったと思います。
そして、7年後の東京五輪に一番喜ばれたのはメダリストの卵たちだと思います。

私は昨年ロンドン五輪のブログの記事で女子五輪競技で1番短い期間でメダルの獲りやすい競技はクレー射撃と伝えました。女子クレー射撃はまだオリンピック種目に登場して新しい競技で、世界的にも女子クレー射撃人口も少なく穴場的競技になります。
ロンドン五輪で、初めてイタリアの20歳の新人ジェシカにより金メダルは世界新記録が出ました。

無題A   無題B
麻生クレー射撃協会長とロンドン五輪出場の中山選手     中山選手の競技中の射撃フォーム

前傾したスタイルはイタリアのトップシューターに多いフォームです。
手にしている競技銃はイタリアのベレッタ社のトラップDT.10モデルは2000年に発表されたカスタムグレードの高級銃。
中山選手は昨年のロンドン5輪のクレー射撃で「シングルマザー選手ガンバル」とメディアに報道され話題にのぼりました。
中山選手は高校でソフトボールの選手として活躍中の時に企業にスカウトされ、オリンピッククレー射撃選手候補としてイタリアの射撃学校に留学させられて頭角を現します。
オリンピック日本女子代表として北京五輪では決勝に進出するも銅メダルの
プレーオフになり4位に落ちました。
ロンドン五輪ではシドニー五輪から3連続出場するも決勝進出には至りませんでした。
男子クレー射撃トラップではバルセロナ5輪で神奈川県の渡辺選手が金メダル、同点になりサドンデスプレーオフになり渡辺選手は最初の一発失中して銀メダルでした。

無題3
中山選手WC女子トラップ銀メダル
産経新聞9月24日夕刊より転載

今回の記事を仕上げていたら中山選手のクレー射撃世界選手権女子トラップで銀メダル獲得のニュースを知りました。
WCのトラップでは男女を通じて日本初の銀メダルとなりました。
昨年のロンドン五輪でメダルを期待されていたので、北京五輪とロンドン五輪のリベンジができました。
今回は決勝でロンドン五輪の金メダリスト21歳のイタリアのジェシカ・ロッシと競射(プレーオフ)になり敗れた。
3年後のリオデジャネイロ五輪はこれで出場決定だと思います。






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2013年09月17日

現在中国のコピー商品は世界的に有名ですが、日本でもこの時代、コピー商品からスタートしています。

カメラのニコンはドイツ製「コンタックス」のコピーでスタートして、キャノンは「ライカ」のコピーから始まります。
1926年日本で発売されたライカは「ライカ一台、家1軒」という神話があったくらいです。
スコッチウイスキーは東京オリンピックの頃、1964年には「ジョニ黒」1本は、新入社員の初任給と同額の高価商品だったので模造洋酒造りは、妙味ある商品で商才卓才な大阪商人により洋酒のコピー化がはじまった。

 

 
1無題

トリスウイスキー1919年11月の新聞広告
へルメスウイスキー1912年の新聞広告より転載

1911年2月1日に摂津酒造が摸造洋酒「ヘルメスウイスキー」を作り、1919年9月1日には「トリスウイスキー」も寿屋より新発売された。
サントリーは1929年4月1日発売した「サントリーウイスキー白札」を我が国初の本格ウイスキーと表現しています。
サントリーの社史の中で『サントリーウイスキー白札を発売した1929年以前のウイスキーは、アルコールに香料を加えただけの混成ウイスキーであった。」と記されている「白札に対する市場の反応は芳しいものではなかった。「焦げくさい」「煙くさい」と悪評ふんぷんたる有様なのだ。翌年の5月普及品として「赤札」を発売1932年には「特角」を送り出したが、売れなかった。』と当時の苦労が語られている。
「ウイスキー貯蔵庫には1931年の年号の記した樽がないが、この年資金が底をついて、原酒の仕入れができなかった」と記されています。

 

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2013年09月09日


そして早くも日本人によるイミテーション洋酒が作られだした。

その模造洋酒を最初に手がけたのが東京、京橋の薬種商、滝口倉吉が1870年に作られたリキュールは舶来品には程遠い味だった。

おかげで商品を倉庫に溢れさして製造中止する。

日本の本格的ウイスキーパイオニア竹鶴政孝の「ウイスキーと私」1972年発行、ニッカウイスキー。から引用します。

「1916年大阪帝国大学卒業の年に学校で洋酒に興味を持って勉強してきた私は、洋酒づくりの仕事をやってみたいと思い立った。
当時洋酒メーカーの第一人者は、大阪、住吉の摂津酒造であった。
調べてみると、大学の先輩、岩井氏が常務をされており、岩井さんを訪ねた。
岩井さんは、すぐ阿部社長に私を連れて話を聞いてくれて「明日からでも出社してきなさい」と入社を許された。
学校を出て初めての仕事は楽しかった。
イミテーションとは言え洋酒づくりに無我夢中になった。」

 
無題

日本初期のウイスキー
竹鶴政孝の「ウイスキーと私」より続きます。
『私が摂津酒蔵にいた頃の得意先は、小西儀助商店、寿屋(現在のサントリー)外山商店、越後屋などでそれぞれの商品の委託を受けて洋酒を作っていた。
「赤門ぶどう酒」は小西商店、 「ヘルメスウイスキー」「赤玉ポートワイン」は寿屋から、いずれも中身の製造は摂津酒造でやっていた。
店の注文に応じてウイスキー、ぶどう酒、リキュールを作り、 180リットル入る洋樽に詰めて工場から出す。これが私の仕事であった。
ウイスキーはイミテーションであったが、ぶどう酒はフランスから輸入しアルコール、砂糖などを加えて日本人に向くように作り替えるのである。
その最高の物には50パーセントくらいの輸入ワインを使っていた。』



 

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INFORMATION
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STAG BAR KIMURA

1962年12月20日
北新地永楽町45番地で開店
1978年 7月20日
現在地イトヤビルに移転
2020年 1月24日(金曜日)
店を閉店致しました。
永きに渡りたくさんの方々より、 ご厚情を賜り、 感謝の気持ちとともに ここに厚く御礼を申し上げます

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