2013年08月
2013年08月26日
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1983年「週刊朝日百科」の世界の酒で、私の「日本の輸入酒」を加筆修正して転載します。
洋酒が日本に伝来した記録は、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが1551年に山口の大名、大内義隆に献上したのが最初とされている。
その後洋酒の輸入は、南蛮貿易商人たちの手に委ねられたが、キリシタンの禁制、海外往来の禁止などの政策により、1853年のペリーの来航を待たなければならなかった。1859年横浜が開港され居留地貿易が発展すると、洋酒の輸入もはじまったが、そのほとんどは居留地の外国人用であった。
1870年代にはビール工場やホテルが外国人により開業されて当時の版画や絵画を見ると、日本人がすでに洋酒を飲み洋食に舌つづみを打っていたことが推察できる。
文明開化は日本人の飲食生活にも急速に変化をもたらした。

【週刊朝日百科】
朝日新聞社から発行された「週間朝日百科」の世界の食べ物シリース編が発行された1980年代は、水割りウイスキーブームに陰りが見えて85年には日本のウイスキー販売量を焼酎が追い抜き、ファーストフードや廻り寿司で育った若者たちの飲酒スタイルは低価格のワイン居酒屋やフードと飲酒を一緒に利用できる店を求め酒類も高級志向から「ヴァリューオブ・マネー」へと変化した。
洋酒が日本に伝来した記録は、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが1551年に山口の大名、大内義隆に献上したのが最初とされている。
その後洋酒の輸入は、南蛮貿易商人たちの手に委ねられたが、キリシタンの禁制、海外往来の禁止などの政策により、1853年のペリーの来航を待たなければならなかった。1859年横浜が開港され居留地貿易が発展すると、洋酒の輸入もはじまったが、そのほとんどは居留地の外国人用であった。
1870年代にはビール工場やホテルが外国人により開業されて当時の版画や絵画を見ると、日本人がすでに洋酒を飲み洋食に舌つづみを打っていたことが推察できる。
文明開化は日本人の飲食生活にも急速に変化をもたらした。

【週刊朝日百科】
朝日新聞社から発行された「週間朝日百科」の世界の食べ物シリース編が発行された1980年代は、水割りウイスキーブームに陰りが見えて85年には日本のウイスキー販売量を焼酎が追い抜き、ファーストフードや廻り寿司で育った若者たちの飲酒スタイルは低価格のワイン居酒屋やフードと飲酒を一緒に利用できる店を求め酒類も高級志向から「ヴァリューオブ・マネー」へと変化した。
2013年08月21日
店は盆休中、梅田の書店を3軒ほど回ると、宮崎監督の、「風立ちぬ 」の映画が観客500万人突破と大ヒット中なので“0戦”関係の本が平積みされていました。私は、「祖父たちの0戦」と百田尚樹の「永遠の0 」を求めて読み始めました。
ストーリーは「姉弟は太平洋戦争で戦死した祖父のことを調べ始めます」ベテランパイロットとして戦ってきた祖父も終戦の数日前に「カミカゼ・パイロット」として出撃して亡くなります。
祖父は若き日の過酷な戦争という時代を家族のことや、祖国を戦場から心配し、愛しい我が子や妻を思い、年老いた両親を残して行くことを気にかけて、胸が痛みます。
これは泣かずには読めません。
この非情な生きて帰る可能性が0の特攻作戦で、亡くなったパイロットは4,500名以上だったそうです。
この太平洋戦争で亡くなった軍人、民間人は四国4県の人口が0になる位、貴い命をささげられて、現在日々平和に過ごせることと戦後の焼け野原から再建できたのは亡くなった皆様の国を思い、家族を思う心の賜物でした。

【KAMIKAZE カクテル】
「カミカゼ」カクテルを初めて注文されたことを今でもよく覚えています。
1989年トム・クルーズ主演の映画「カクテル」が公開される数年前でした。
常連の商社マンと一緒に来店した中年のニューヨーカーでした。
「カミカゼ」カクテルを注文され、私は初めてきくカクテル名で知らないのでレシピ教えてくださいと言うと、ウォッカ、ギムレットのレシピをシェイクしてオンザロックにしてファッショングラスに注げば出来上がり、とのことでした。
どういう意図でつくられたのか作者もわかりませんがマンハッタンのバーでブレイクしたと言っていました。
別バージョンでは「KAMIKAZE SHOOTER」もあります。
1980年頃ならマンハッタンのアッパーイーストのディスコから有名になり、ウォッカにスピリタスを使用してショットグラスに作り、ショットガンスタイルでも飲むそうです。
ストーリーは「姉弟は太平洋戦争で戦死した祖父のことを調べ始めます」ベテランパイロットとして戦ってきた祖父も終戦の数日前に「カミカゼ・パイロット」として出撃して亡くなります。
祖父は若き日の過酷な戦争という時代を家族のことや、祖国を戦場から心配し、愛しい我が子や妻を思い、年老いた両親を残して行くことを気にかけて、胸が痛みます。
これは泣かずには読めません。
この非情な生きて帰る可能性が0の特攻作戦で、亡くなったパイロットは4,500名以上だったそうです。
この太平洋戦争で亡くなった軍人、民間人は四国4県の人口が0になる位、貴い命をささげられて、現在日々平和に過ごせることと戦後の焼け野原から再建できたのは亡くなった皆様の国を思い、家族を思う心の賜物でした。

【KAMIKAZE カクテル】
「カミカゼ」カクテルを初めて注文されたことを今でもよく覚えています。
1989年トム・クルーズ主演の映画「カクテル」が公開される数年前でした。
常連の商社マンと一緒に来店した中年のニューヨーカーでした。
「カミカゼ」カクテルを注文され、私は初めてきくカクテル名で知らないのでレシピ教えてくださいと言うと、ウォッカ、ギムレットのレシピをシェイクしてオンザロックにしてファッショングラスに注げば出来上がり、とのことでした。
どういう意図でつくられたのか作者もわかりませんがマンハッタンのバーでブレイクしたと言っていました。
別バージョンでは「KAMIKAZE SHOOTER」もあります。
1980年頃ならマンハッタンのアッパーイーストのディスコから有名になり、ウォッカにスピリタスを使用してショットグラスに作り、ショットガンスタイルでも飲むそうです。
2013年08月12日
NBA会誌「バーテンダー」7月号で「第40回NBA全国大会大阪」来場者2,800名と報道され大盛会で、亡き木村会長や吉田会長も空の上で観戦してくれたことと思います。
26年前の大阪大会では来場者300名以下でした。
だが「第14回NBA大阪大会」は、大会史上大記録でスタートした大会になりました。
関東本部(栃木支部)は、大阪大会で山野井有三選手が総合優勝。
「15回函館大会」で小川信行選手。
「16回広島大会」で保志雄一選手。
「17回東京大会」で片桐久司選手と4年連続4連覇を達成し宇都宮市は「カクテルと餃子」の町として有名になっていました。
「18回松山大会」で栃木5連覇にストップをかけたのは「銀座支部」の酒向明浩選手でした。これからもこんな記録は出ないと思います。

第21回NBA全国京都大会
1994年11月27日京都パークホテルで開催。京都は「平安建都1200年」という記念すべき年になり盛会でした。古都の晩秋に全国からたくさんの入場者で表彰式のプレゼンターに芸妓さんや舞妓さんが手伝ってくれ会場を華やかにして喜ばれました。写真左の選手は岸久選手で「創作カクテル」1位でした。
その後、岸選手は1996年IBA世界大会に出場し作品名「ミルキーウェイ」で優勝しました。「ミルキーウェイ」はギリシャ神話の「天の川」の意味です。岸久選手は現在のNBA会長に就任しています。





