2013年06月
2013年06月24日
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前回で「クレー射撃と国体」を記しました。
1987年沖縄県で初めて国体が開催されました。1972年沖縄が日本復帰して15年後でした。
沖縄は太平洋戦争で連合軍が上陸し県民の方に大きな鎮痛の思いをかけ私たち選手は銃を使用する競技でナーバスになっていましたが、会場となった金武町の方々は暖かく歓迎してくれました。
近くにはキャンプハンセンがあり試合中には大勢の米軍の家族が見学にきて選手達を驚かせました。

金武町競技会場
競技会場になった金武町は目の前にコバルトブルーの海があり午後からは強風が吹き出して、選手たちは標的が風で変化し苦戦しました。10月も終わりの頃でしたが皆夏服です。
沖縄で輸入されていたスコッチ
沖縄は「泡盛」の本場だけあって、銘柄によっては60°近いものもありました。
当時はまだブレンデッドが多く沖縄の輸入された銘柄で国内では見かけない「ゴールドスター」と「ソーンズ」とモルトでは「グレンフラグラー」を見つけました。
ローランドのモファット蒸留所の銘柄ですが1980年代のウイスキー不況により1985年にはクローズしましたが現在スコットランドでも「オークションアイテム」としては驚きの価格です。
ブレンデッドは国内では出回ってませんでしたが、当時小瓶は“小瓶コレクター”でもある脇野さんは持っていました。
2013年06月17日
原著は2011年に英語版が出版され読まれた方もいると思います。
この本を出版したワインコレクターのミシェルジャックの極上ワインのコレクションには感銘を受けますが、最後のほうのページにはコニャック、モルトウイスキー、ラム、カルヴァドス、アルマニャックも希少です。
当店も今年で北新地にオープンして51年目になりました。開店当時の“古酒”が2本あります。
フランスはリキュールメーカーのキューゼニア社です。 1858年創業者ユージェヌ・キューゼニアによりパリに設立して19世紀末に酒類メーカーとして成功を収めて有名になり、日本にも輸出された。
1本の古酒は100年以上は経過しているようです。

左のボトルはオレンジリキュールで調べましたが日本にいつ輸入されたものか記録がありません。同じものが「銀座スミノフ」のバーにあるそうです。スミノフはNBA初代、岩瀬会長が創業したお店です。もう1本は「ナポレオンコニャック」で日本には昔キューゼニアのコニャックは輸入されたが、現在は輸入されてません。 20年以上前にキューゼニア社の輸入元の社員と当時のキューゼニア社の社長が来日した時に一緒に来店してくれたので、その時に見てもらったが、社長も見たことがないので一度調べましょうと言ってから返事は来ませんでした。
2013年06月10日
昨日、6/9(日)に数ヶ月ぶりに関西空港から近い大阪クレー射撃場で大会が開催され、昔の国体選手仲間も多くエントリーし、若い射手相手に私も健闘し準優勝することが出来た。
ここで、クレー射撃と国体の話を記します。
戦後から1年が過ぎ1946年第1回国民体育大会が大阪を中心に京阪神で開催された。
開会の前日、選手たちは全国から各自食料をリュックに詰め込んで参加し選手たちの宿泊所も少なく、加茂川や淀川の河原にキャンプを張っていた。ユニフォームも用具も満足なものはなく、そんな中でも女子の「走り高跳び」で日本新記録を出し頑張りました。
クレー射撃は1950年に連合国は日本政府に戦後、銃所持を禁止していたが、日本政府に競技用の銃の所持を委ねられて翌年の「広島国体」より競技参加できるようになった。
大阪の選手団は5年後の「兵庫国体」で総合優勝することが出来た。
私は、1985年「鳥取国体」に大阪代表として初出場し、兵庫国体から数えて29年ぶりに総合優勝が出来てラッキーでした。この年は、「阪神タイガース」も優勝したのを思い出します。
その後、1993年東四国国体まで8回出場し、52歳でリタイアしました。

天皇杯・皇后杯
天皇杯は男女総合1位と皇后杯は女子総合1位の都道府県チームに授与される。
そのため競技には皇室の方々の観戦があり、沖縄国体(1987)で私たちの射団が“天覧試合”になりました。
三笠宮寛仁親王殿下と信子さまが御覧になられました。信子さまの兄は麻生太郎氏で1961年の秋田国体で学習院大学の学生であった麻生選手が初出場でスキート競技で優勝をしています。

沖縄国体での大阪選手団
クレー射撃競技は100mを全力で走るとかではなく、体力よりもメンタル競技で他の競技より高齢化が進んでいます。銃を使用するスポーツは危険とみなされて、若手の人たちに対しても、近年所持許可が難しくなり残念です。






