2012年11月

2012年11月27日




柴田書店発行の1991年秋号、「特集ウィスキー提供のコツ」を当店が取材された記事より、一部加筆して転載します。

Q:「実際に蒸溜所を訪ねて、いかがでした?」

当時は1ポンド800円以上の時代ですから航空チケットを手配すると、ノーマルではびっくりするほど高額になるので、その頃出はじめたパッケージツアーに決めました。

ヨーロッパ旅行はパリが起点でしたので、イギリスステイがなくパリからスコットランドに1人で入国して空港でレンタカーを借りてパリ集合が20日後でしたので蒸溜所を回る時間は十分ありました。
スペイサイド、グラスゴー、アイラ島とミシュランの地図を頼りに蒸溜所を35~6ヶ所廻ることが出来ました。

そこでショックを受けたのは蒸溜所を訪ねても今のように好意的ではありませんでした。
小さな蒸溜所では「仕事の邪魔」とか言って門前払いされたりで随分落ち込みましたね。だが、蒸溜所は今のように合理化されていてなくキルンからピートを焚く煙がでていました。

スチルの下を覗いても熱源はガスだけではなく、石油やコークス、石炭のところもあり蒸溜所のこだわりが随所に残っていて、発酵タンクにもスチルのデザインや燃料しかり各蒸溜所では技術者の持つクラフトマンシップに感動しました。モルトウィスキーはブレンデットと違って色々異なった風味を飲み比べるという面白さにも改めて気付き、モルトウィスキーをこれからも追って行きたいという気持ちを強くして、第1回の蒸溜所巡りを楽しみ、スコットランド人の友達もできました。




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蒸溜所の職人達と
蒸溜所の近くのパブに夕方行くと、蒸溜所で働く人たちに出会って、「蒸溜所で門前払いにあっている」というと、「明日は私の働く蒸溜所に来なさい」と暖かく出迎えてくれて、次に行きたいところを話すと「兄が働いているから」とコンタクトしてくれて次から次へと蒸溜所を見学できだして、毎夜パブに出かけることを楽しみました。



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グレングラント蒸溜所のアーネスト所長
グレンリヴェット蒸溜所グループの蒸溜所を全部紹介してくれました。ウイスキー本の紹介の資料も教えてもらって、息子さんがバルモラル城に勤めていたので訪ねました。



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2012年11月19日



柴田書店発行の1991年秋号、「特集ウィスキー提供のコツ」を当店が取材された記事より、一部加筆して転載します。

Q:「川澤さんがモルトウイスキーに興味を持たれたのは何だったんですか?」

『1971年米国、オハイオ州のデートンで開かれたクレー射撃選手権に参加した時に親しくなったイタリア人選手が「モルトウイスキーフリーク」だったんですね。当時の日本に輸入されていたモルトウイスキーはグレンフィディックの8年ものくらいでしたけど、量はそんなに入って来ませんでしたし、私自身、モルトウィスキーがそれほど飛び抜けて旨いと思っていた訳ではありません。

実際のところあまり興味も持ってなかったんです。もちろん当時イタリアでモルトウィスキーが多く消費されていることも知りませんでした。
だからイタリアの選手に「これが本当のウィスキーだ」といって勧められたアイラモルトのラフロイグやアードベッグを飲んでも普通のスモーキーフレーバーと全然違いますから「これはチョット変質しているんじゃないか?」という印象しか持たなかったんですね。それでも、このヨードチンキの香りといいますか、アイラモルトの独特の香りにとても強烈な印象を受けたことだけは確かです。

ところで1970年代というのはボトルキープシステムと水割りウィスキー全盛の時代に突入していて腕を持ったバーテンダーがどんどんリタイアしていく“バーテンダーの冬の時代”でもあったんです。
私自身、ボトルキープシステムや水割りに随分抵抗がありましたから、うまい、まずいは別として、ブレンデットウィスキーと違ってアジや香りに強烈な個性を持ったモルトウィスキーのことをもっと詳しく知りたくて「これはもう絶対現地に一回行ってみなければ」と思ったんです。』



カレドニアン・マクブレイン
カレドニアン・マクブレインのフェリー
ウエストコーストの景観が広がる波の静かな日は、アイラの船旅も良いものです。私はレンタカーで乗り入れたが島にはレンタカーもバスも走っています。


E&R

ポート・エレンとラガヴーリン
日本にアイラウイスキーはラガヴーリンが最初に(1970年初期)に輸入された。写真は当時のボトルです。ポート・エレンは1983年に閉鎖されて、今のアイラブームで残りの在庫が高値を更新し続けた。アイラの名のある蒸留所は創業家から続けているところは1ヵ所もない。




 

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2012年11月13日


相島さんの「酒場のダンディズム」を引き続き引用します。

「人知れず静かに逝ったらしく川澤ですら詳しい事情は知らなかった。個人を偲びながら団が追い求めた酒場のダンディズムを語り合いグラスを傾けた。正統派BARに色恋は存在しないし、愚痴、泣き言やストレス発散など世俗の入る余地はない。悪いとは言わないがほかの居酒屋やホステスのいる空間とは全く別の世界なのだ。酒は明日のためのカタルシス。襟を正し背筋をのばして酒と対峙する。夢によっても飲まれてはだめなのである。自身を見据えエトランゼのようにこころの旅をする。邂逅(であい)を楽しみ先達の話を聞く、カウンターの内外はすべて平等である。バーテンダーは恐ろしく博識が多く概してインテリである酒場が紳士淑女を育て、飲み手がバーテンダーを鍛えるのだ。団は仏師の視点から運慶の温雅秀麗なたたずまいを酒場の美学に重ねていたのではないだろうか。そのストイックなまでの姿勢を川澤は「酒場道」と評した。作家山口瞳は「酒は男を研ぐ水である」という名言を残した。昨今、若者は酒を飲まなくなり、大人にも毅然とした飲み方が減った。ベテラン名バーテンダーも次々とこの世を去る。川澤も70歳となり、キムラバーは50周年を迎える。クレー射撃の元国体選手である彼に衰えはみられない。他にも私は幾人かの名バーテンダーを知っている。酒場道というダンディズムを伝承して頂いきたいものである。」


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クレー射撃と私の師匠の新里さん。[1971年・オハイオ州・ディトン]
振り返れば選手時代に良い師匠と出会ったことで、公式戦21勝、国体と100射99点を撃って日本ランキングで1度はトップになれたのは師匠の指導力だと思います。師匠は途中からプロクレー射撃協会を設立して、芸能文化人射撃協会の多くの選手をコーチされて交流を広め選手も育てました。


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思い出の近畿選手権三連覇(1992~1994)
クレー射撃の近畿選手権は2府4県のクレー射撃協会選手がその年の公式戦で上位6名が選出される36名で争う。94年は100射で私を入れて4名が94点でプレーオフになり、若い選手相手に53歳の私が勝利できたのはラッキーでした。翌年には動態視力も落ちて選手生活をリタイヤしました。今は冠大会を楽しんでいます。





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INFORMATION
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STAG BAR KIMURA

1962年12月20日
北新地永楽町45番地で開店
1978年 7月20日
現在地イトヤビルに移転
2020年 1月24日(金曜日)
店を閉店致しました。
永きに渡りたくさんの方々より、 ご厚情を賜り、 感謝の気持ちとともに ここに厚く御礼を申し上げます

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