2012年08月
2012年08月28日
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「洋酒天国」40号のPR誌で「カクテル・ベスト・テン」を発表したのを書いてみる。
①マティーニ
②サイドカー
③マンハッタン
④ジンフィズ
⑤ギムレット
以下省略・・・
このリストを見ても現在で通用するランキングだが、この40号が発行されたのは今から50年以上前である。
この4位に入った「ジンフィズ」は現在では「ジントニック」に入れ替わりあまり出なくなった。
今週「ホフマンフィズ」がオーダーされて懐かしく思った。
当時ジンフィズが注文されると肩に力が入ったマティーニのように作り方を試されるカクテルであった。
大阪ミナミの「カミヤバー」のマスター森本晴男さんのジンフィズは有名で東京会館のジンフィズのように白濁しているが、ミルクは使用していなかった。
このシンプルな「カミヤフィズ」はこの店でしか飲めない。
ある早い時間、協会の事で訪ねるとマスターは桜の一枚板のカウンターの上で石臼である砂糖を粉砂糖に挽いていた。
やはり思っていた通り”甘さ控えめのシンプルな極みの一杯”がマスターの努力で完成していた。
私もその日からこの砂糖を使用して「美味いジンフィズ」が作れるようになった。
色彩では「東京会館フィズ」みたいだがミルクは使用していない。
シンプルで甘さ控えめで究極の”Gin Fizz”になる。
2012年08月20日
盆休の一日、北新地を散策してみました。
北は国道2号線、南は堂島川、東は御堂筋、西は桜橋を通って出入橋までが北新地です。
出入橋東口から堂島浜通りに沿って歩くと明治9年、五代友厚の創立した「朝暘館」趾の碑があり、そこから西に堂島川の側道を歩くと当時の地名で堂島新地5丁目に、中津藩倉屋敷趾、天保5年、福沢諭吉誕生の碑が建立されています。
父、百助が諭吉3才の頃に亡くなるまで住んだ所です。
玉江橋から大江橋の方向に歩くと全日空ホテル東側に「国産ビール発祥の碑」があります。
明治5年に渋谷庄三郎により「渋谷ビール」がこの地で醸造をはじめた。
茶屋の街として繁盛したこの場所も明治42年の「北の大火」と呼ばれる大火事で焼失して、先の大戦でもこの北新地は焼け野原になり戦後の高度成長期から「高級バー」「クラブ」が営業を始める”バー紫苑、ラモール、アザミ、花束、クラブ純“などがオープンして当時の社用族と云はれた人たちが来店し、北新地は「夜の商工会議所」と言われた。
当時の週刊誌が北新地の特集記事を掲載した「夜の会員さん」は、大阪商工会議所 杉会頭 / 日本生命 弘世社長 / 帝人 大屋社長 / 関西電力 森岡社長 / 住友金属 日向会長 / 丸紅 市川会長 / 阪急電鉄 小林社長 / ダイキン 山田社長 / 麻生産業 麻生社長(太郎の父) / 関西テレビ 沢村社長 / 文藝春秋 池島社長 / 東急 五島社長 / サントリー 佐治社長 / 森下仁丹 森下社長・・・もうこのへんで止めます。昭和の北新地が元気な頃の話でした。
ハイランドパーク蒸留所
1798年スコットランド最北のオークニー島で創業。
スコットランド最北端の蒸留所で200年の歴史と島々のウィスキーを代表する名門蒸留所。

ハイランドパーク21年限定ボトル
1980年、日本の漆塗の木箱入りで当時のモルトでは結構な価格でした。
[Tasting Notes]
AEG : 1959年蒸留 1980年瓶詰
NOSE : シナモンバタートースト風味とヘーゼルナッツ香が新鮮。
TASTE : 上質なブランディケーキのような甘さが広がる。熟成感は良いがフィニッシュで少し渋味が残る。
2012年08月12日
江戸時代、貞享5年(1688)「堂島米取引所」が創立されて中之島と堂島を中心に米蔵屋敷が並び、各藩の留守居役を取引商人が接待し、北の遊里として公許された「堂島新地」がにぎわった。
茶屋の始まりは元和寛永の頃、京都八坂神社の門前に茶屋が立ち、「花見・月見」の名所に「茶立て女・茶汲み女」という女性が現れ、コレが今日の芸妓・舞子の源流であると“祇園 一力亭”の由未の書に記されている。
堂島新地を有名にしたのは元禄16年(1703)4月、曾根崎の露天神ノ森で起きた心中事件を近松門左衛門が「曾根崎心中」に書き上げ、道頓堀の竹本座にかけられて空前の大当りをとった。
その後、大阪は流通、金融、商品経済の発展により、鴻池、淀屋、住友と多くの豪商も生まれた。
享保19年(1734) 「雨月物語」の上田秋成が堂島で誕生した頃には「北の新地」と呼ばれ出していた。
その後に明治政府の廃藩置県や昭和の米穀配給統制法により「米取引所」は250年の歴史を閉じた。
昭和20年代中期より朝鮮動乱による特需などで元禄時代より続いた茶屋の街からバークラブに変身して行った。
『北新地」からは銀座のようにカクテルで全国に発信されなかったが「ボトルキープ」というシステムを北新地より発信している。
1970年、大阪万博の頃堂島上通りにあった「クラブ・フラミンゴ」がテーブル席にニューボトルを出して、返って来たボトルを計量していたのをゲストが見て「明日も来るからキープしておく」と始まったらしい。
店もリピーターになってもらえるので、関西らしい商法として全国に広まった。
1838年創業 1865年現在のグラント家に売却されて150年間グラント家により運営されている。
スペイサイドというより、ハイランドモルトを代表する自立蒸留所

グレンファークラス150年記念ボトル
グレンファークラス創立150年アニバーサリーボトルで日本では発売されなかった。限定ボトルで6000本だけ1986年に作られた。ジョン・グラント社長夫妻が2度目の来店の時に持参してくれた。







