2012年07月
2012年07月17日
|
|
今では3名とも鬼籍に入りました。
その昔に芸能界のクレー射撃でチャンピオンは六代目菊五郎(1885-1949)が有名でした。
私がクレー射撃選手時代、先輩選手により、菊五郎の名銃が大阪に伝わりその伝説的になっていた有名な話を聞いていたので、七代目尾上梅幸(1915~1995)が店の常連さんと来店してくれた時、梅幸さんが“日経”の「私の履歴書」のなかで少し話していたので、その事を訪ねてみました。
話は、6代目が亡くなって半年位した頃に紹介者を通して父の銃を譲ってくださいと、大阪から来た男性が、家を一軒買えるくらいの金額を提示されたそうです。
その名銃は1914年「東京大正博覧会」に英国より出品された銃を菊五郎が手に入れて長く愛用されたそうです。その不思議な話はまたの機会に話します。
当時「芸文協会GBGC」と私たちの所属していたクレー射撃クラブ「大阪ヤングクラブ」がチャリティー試合や対抗試合をしました。
芸文クラブメンバーはA級選手では三橋達也、ジョージ川口、加藤茶などで、他には松方弘樹、梅宮辰夫、田宮二郎、萬屋錦之介兄弟、本郷功次郎やドリフターズのメンバー全員で盛会でした。
試合が終わった後にはクラブハウスで「ジョージ川口とビッグ・フォー」のライブが始まり、ハウスはギャラリーで満員になりました。今では多くの会員が鬼籍に入って”兵どもが夢の跡“になりました。
今月よりロンドンオリンピックがスタートします。日本からクレー射撃は女子選手だけがエントリーしています。彼女はメダル候補だそうです、何色のメダルを持って帰れるでしょうか、頑張ってください。

ジョージ川口(1927−2003)
ジョージさんは1番は腕で2番は鉄砲と言っていました。国産銃を愛用していました。
あるジャズ評論家が彼は東京オリンピックのクレー射撃強化選手で国際審判員だと“ほらを吹いていた”と言っていますが、コレは本当の話です。ゴルフに転向しても2年後くらいで80前後で廻っていました。
三橋達也(1923-2004)
三橋さんは日本クレー射撃協会、元理事で1964年東京オリンピックのクレー射撃強化選手と射撃指導員でした。関西の公式戦にもよく出場していました。この写真で持っている銃はイタリーのカスタムメイドの高級銃ですね。マンションが買える価格です・・・。
加藤 茶
日本クレー射撃協会3段の腕前でした。この時代はまだ若手で「芸文協会」では一番強かった。
銃はベルギーブローニング・タイプD5でベンツ1台分の価格でしょう!でも、部品を交換してゆけば50年は使えますから高くはないですね。加藤さんたちは1万発〜2万発撃てば新銃交換に出すんでしょうね。この時代・・・。
芸能文化人ガンクラブのメンバー
芸文第一回の射撃大会で皆さんまだお若いですね、前列にいる高木ブーさんが芸文クラブ現在の会長だそうです。多数の会員がゴルフに行ったり、鬼籍に入り、若い会員が少なくなりました。
2012年07月10日
当店も早いもので、北新地でオープンして今年で50年を迎えました。
当時、永楽通りは“社用族”が車で次々とやって来て、週刊誌の特集で「夜の商工会議所」と言うタイトルで商談バー繁盛記を掲載された有名店が近くにありました。
昭和の全盛期から平成に変わり経済情勢も激変し紳士の街だった北新地も今では出入りする客たちの遊びぶりも小粒になりました。
古い話になりますが、店はウィークエンドの閉店時間を過ぎてもまだ常連の新聞記者と仲間達が残っていて、私が「閉店の時間です」と声をかけたその時、大音響と共に一台の車が入り口横から飛び込んで来て、土煙とラジエターから噴き出した水煙で店はパニックになり、さすがの事件記者は店を飛び出していました。
記者の目撃談では“大物カップル”が頭に手をのせて女性の手を引っ張り隣のステーキハウスに飛び込んで行ったとの事。
車の天井で頭を強く打ったらしい・・・。
残っていた社用の運転手は、ブレーキとアクセルを踏み間違ったと話し、その場へへたり込んでしまった。
店には大きな穴が空き地震の後のよう・・・。
後日、女性は宝塚歌劇の男役でデビューし、トップスターで退団し、その後スーパースターとして活躍した“大物シンガー”でした。男性は関西の“華麗なる一族”で父親は民間人で二度の大臣を経験し鉄道事業と少女歌劇の創始者でした。
その次男で生まれた男性は27歳で母親に反対されたが養子にゆき、船会社の社長で長身のダンディな紳士でした。
今はその“お孫さん”が元プロスポーツ選手として活躍し、現在もテレビのCMやスポーツ番組のキャスターとして毎日テレビに出演しています。
今月始まるロンドンオリンピックの取材で益々忙しくなるでしょう。“お孫さん”の母親も男役でデビューしたタカラジェンヌだそうです。
後日、クレー射撃の先輩のジョージ川口さんが大阪に来た時、私がよく彼を奈良県の天理にあったクレー射撃場に送り迎えをしていてあげていたこともあり、帰りに来店してくれた。
ジョージさんは“大物シンガー”のバックで仕事をしていたので、その顛末を話したら、ジョージさんは、「二人はロマンスを噂されていたので人目を避け隣の店に飛び込んだのだろう」と笑って話してくれました。

【ABSINTH DRIP】
エディット・ピアフ(1915~1963)
ピアフの伝記を読むと子供の頃から祖母に赤ワインを水で薄めていたのを飲まされていたそう。ピアフが特に好んだのはパスティスとアブサンを愛飲して“ABSINTHISM“というアブサン依存症になったそうです。
アブサンは別名“緑の悪魔の酒“と呼ばれている。
2012年07月01日
1979年創立200年記念を迎えて、1950年蒸留、1979年ボトリングした記念ボトルが限定で発売された。
日本には菱和酒類販売より輸入され、このボトルはボウモアの記録されている最古のNo.1 WARE HOUSEのSHERRY CASKに貯蔵されていた樽からオーナーであったモリソン一族の紋章入り手吹デキヤンターに詰められ、証明書まで付けられ、日本で300本限定発売された。
封を切ると“BLACK BOWMORE”のように色は濃くなく、オロロソシェリー樽特有のアロマと貴腐ワインのようなノーブルな香りがいつまでも残った・・・


"THE BICENTENARY BOWMORE12年
「THE BICENTENARY 」(左)1979年、日本に限定300本輸入された200年記念ボトル。
BOWMORE12年」(右)日本に最初に輸入されたBOWMORE12年アイラモルトではLAGAVULINが評価が高いが、私はこの頃のBOWMOREがアイラNo.1だと思います。あの頃のBOWMOREはどこに消えてしまったんでしょう・・・。

荒海にさらされるロッホ・インダールと入り江の防波堤に建つボウモア蒸留所。
スコットランドで2番目に古い蒸留所で最古の蒸留所は“WHISKY CAT”タウザーで有名になったグレンタレット蒸留所がボウモアより4年古い1775年創業。ボウモア蒸留所はサントリーが1989年から買収に乗り出して、1994年にモリソンボウモアから株式を取得してオーヘントッシャン蒸留所とグレンギリー蒸留所も傘下に収めた。





