2012年05月
2012年05月28日
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「ハスラー2」や「トップガン」など大ヒット作に次々と主演したトム・クルーズは「ハスラー2」でビリヤードとプールバーを流行させ、「トップガン」では封切後にフライトジャケットとサングラスの売上が急増し、アメリカ海軍には第2次世界大戦以来最大の入隊希望者が殺到した。
トム・クルーズは驚異の大ヒット作「トップガン」でスーパースターに仲間入りする。
「カクテル」ではニューヨークの有名バーテンダー“JB”こと、ジョンバンディ指導のもとで技を磨き、マンハッタンのバーで数軒で修行し、「完璧なマティーニ」を作れるまでになった。
映画は日本でも大ヒットしてカクテルがブレイクした。
その役を演じるトム・クルーズのボトルが宙を舞う派手なパフォーマンスの真似をするバーテンダーが増えて、その後は日本フレアバーテンダー協会も発足されてコンペティションが開催されチャンピョンも誕生した。
映画は封切られてもう20年以上もなり、今ではDVDで楽しめます。

・映画「COCKTAIL」
トム・クルーズの役は元軍人で大金を稼ぐためにニューヨークにやってきたものの、結局バーで働くことになり、金持ち女を捕まえて安易に金を稼ごうとした試みが悲劇を生むというストーリー。
二人の男がボトルを宙にほりあげる映画はディズニー映画史上最高のオープニング興業収入1180万㌦の大ヒットとなった。

・映画で大ヒットした「COCKTAIL」
「LOVE ON THE BEACH」&「SEX ON THE BEACH」1984年に出版された原作は「KAMI KAZE」や多くのカテゴリーのカクテルが登場しますが、このカクテルは映画ヴァージョンで、アメリカでヒットしたこのカクテルはニューヨークとL.Aで発信されたレシピで、日本では「LOVE」の左側がブレイクした。
右の赤いのはグランベリーでどちらも女性好みの甘いカクテルです。

・「FRIAR TUCK」
ピンキーカラーの女性に人気が出たカクテルで、フランジェリコ・リキュール入りの甘さの中に酸味の効いたおしゃれなカクテルです。
近年「コスモポリタン」が女性からのオーダーが多いそうですがこれもテレビで放映された「SEX AND THE CITY」でブレイクしたそうです。
2012年05月21日
1956年「洋酒の寿屋」が伝説のPR誌「洋酒天国」を発刊して1964年61号を最後に休刊になった。
洋酒天国は初代編集長に開高健、2代目に山口瞳がなり、このPR誌は「プレイボーイ」と「エスクァイア」誌をプラスしたようなエスプリの効いた“PR誌臭くないPR誌”で大変人気が出た。
今こうして手にとって目を通してみると、小誌ですが時代を感じません、オシャレです。当時26才と若い初代編集長、開高健のパッションが伝わります。
創刊3号のメイン企画に開高はその名を「薩摩治郎八」という男のエッセイを連載しました。
タイトルは「おとぼけ回想記」この時代、薩摩のことを知っている人はあまりいなかったと思いますが、私はJBAの機関紙「ドリンクス」の「シェーカー漫筆」という薩摩のエッセイが面白く愛読していました。
1960年のドリンクスより“薩摩のエッセイ”を引用します・・・。
「古いのはスコッチにコニャックとブドー酒で、バーテンダーも古いほうがコクがある。この職業だけは古手が良い、ひいきしている浅草の天ぷら屋がバーテンダーばかりは古手に限りますぜ。天ぷら屋、うなぎ屋ばかりは油が鼻につくようになったらおしまい、若手に限りますよといった。」と、こんなエッセイを書いていました。
近年、
2009年2月「バロン・サツマと呼ばれた男」村上紀史郎。
2010年10月「パリ日本館こそ我が命」小林茂。
2011年「蕩尽王パリをゆく」鹿島茂で出版された。
この本の『腰巻』には800億円の財産を使い果たした華麗なる人生、ブガッティでフランス全土をグルメ旅行と記されている。
昨年カジノで大金を散財した男もいましたが「バロン・サツマ」とは中身が違います・・・。
「洋酒天国」は2007年5月「洋酒天国とその時代」が小玉武で出版されて文庫本も出ています。一度、読んでみてください。

「洋酒天国」
私は1号から61号まで60冊を集めていましたが、見せてあげたら面白いと思って貸したが為に帰ってこなくなり歯抜けになってしまいました。40号には1959年のカクテルベスト10が出ています。(全国の店のアンケート)
1.マティニ 2.サイドカー 3.マンハッタン 4.ジンフィズ 5.ギムレット 6.ルシアン 7.アレキサンダー 8.ミリオンダラー 9.雪国 10.ブルームーン

雪国【1959年第3回洋酒天国ノーメル賞グランプリ】
3月にグランプリを獲り有名になったカクテルは40号で10月発行ベスト10で9位になっています。
審査員は薩摩治郎八、岡本太郎、サトウハチロウ、徳川夢声。JBAから長谷川幸保、室井良介たちです。創作者、山形の井山計一さん、現役でしたら、おそらく80歳以上です、ガンバッテください。

薩摩治郎八(1901~1976)写真は晩年の頃
神田駿河台の2千坪の大豪邸に生まれた。
祖父が近江商人、日本一の木綿問屋を一代で築き上げた薩摩治兵衛。薩摩商店全盛の時代1920年治郎八はロンドン・パリに渡り、欧州社交界で「バロン・サツマ」と呼ばれた。20代の大柄な2枚目の好男子はパリの数々の美女たちと浮名を流して高級レストランで豪遊して「東洋のロックフェラー」と呼ばれ稀代の蕩児として現在の価値で800億円を30年の在パリ時代に使い果たした。
2012年05月15日
日本にバー文化が定着して最初にブレイクしたカクテルは「ミリオンダラー」。
このカクテルを有名にした出来事は1926年5月15日の読売新聞に載った文芸春秋の広告に「酒ならば、コクテール、コクテールならば ミリオンダラーコクテール、雑誌ならば吾が文芸春秋・・・。」のフレーズが有名ですが「ヨミダス」で調べましたが見つかりませんでした。
ミリオンダラーカクテルの誕生は1890年サンフランシスコのホテルマンであったルイス・エッピンガーが横浜グランドホテルの支配人になり、彼の創作で「バーテンダーの神様」と言われた男、浜田晶吾がアレンジして作り、後に銀座のカフェーライオンに迎えられた。
当時の流行語辞典に「ミリオンダラーコクテールは、甘くて桃色の美しいコクテールである」とその名を記録されている。
1931年春陽堂から「銀座細見」が著者、安藤更生により発刊されてベストセラーになる。
『ライオンは銀座カフェー史上の第一に置かるべき店である。店の人気を支えていたのは実にバーテンダー浜田であるがためであった。浜田ほどのバーテンダーを見たことがない。彼は早くから横浜グランドホテルの酒場にあって外国人に名を知られコクテールをシェークするときの仕草や客への対応ぶり独特の味がある。そんなバーテンダーは今、銀座には彼とレッドテープの高橋のほかいない。二人の出身は横浜グランドホテルである』
「昼の銀座 夜の銀座」のページより引用
このように、カクテル名人”ミリオンダラーの浜田か浜田のミリオンダラーか”として銀座からブレイクした。

【ミリオンダラーカクテル】
このカクテルは日本では1894年ルイス・エッピンガーの創作と云われている。
彼は、1890年横浜グランドホテルの支配人に迎えられてホテルのバー経営に力を発揮され、氏の指導を受けたバーテンダー浜田晶吾が作りブレイクする。横浜から「バンブー」「チェリーブロッサム」「ヨコハマ」カクテルが発信されて全国に広がる。横浜は日本のカクテルの発祥の町。
【クラフトカクテルブック】(2002年発行)
このカクテルブックの154ページに「ミリオンダラーは1910年ラッフルズホテルのバーテンダーNgian.Tong.Boon(ニヤン・トン・ブン)により創作された」と書かれている。
このバーテンダーは、シンガポールスリングも創作している。
【横浜海岸通 十八番異人旅宿之図(二代歌川広重、1869年頃)】
このホテル「インターナショナル」は1868年開業されて、現在、山下公園通りに面したマリンタワー近くにあたる。
コロニアルホテルと称されるスタイル、経営者は外国人のW.カーティスで英字新聞「ジャパンヘラルド」紙の広告にワインと洋酒が取り揃えられてレストランとビリヤード室にバーがあった。
当時、ホテルは外国人が建て外国人が利用した。





