2012年04月

2012年04月30日





高知出身の時代小説家、山本一力の「くじら日和」から。

「高知に生まれちょって酒が呑めんとは、おんしゃぁ土佐の面汚しじゃ」
酒が飲めないというだけで、何もわるいことをしたわけでないのにと、ほそぼそと口答えをしようものなら・・・。
「あほう、酒が呑めんという以上にわるいことがどこにありようらぁ」
下戸は罪なのだ。


「焼酎フリーク」の間で有名になった「栗焼酎」を高知に訪ねた。
息子の運転で出発し、桜も散り新緑薫る土佐路を高知西部四万十町に着く、この街の蔵元で一風変わった社名「無手無冠」は明治26年創業の地酒メーカー。
この町「大正」は県内有数の粟の生産地で蔵元は栗焼酎を作ろうとしたが、蔵人が「何も酒のイメージを落とす焼酎なんか作らん」と理解してもらえず、やっと昭和60年から栗焼酎が作られ出した。
地元で人気が出だし平成11年全国に飛躍するきっかけが起きる。
全国で焼酎ブームが訪れJALの国際線でカタログ販売されて栗焼酎の人気が高まり、「四万十川栗焼酎」10,000本が完売した。
その後テレビ、新聞、雑誌等にも紹介され出荷制限するほどブレイクする。
「もう蔵も製造も能力いっぱい。」現在では増産する予定なし、「田舎の酒は田舎のままでいいんや」今や地元をPRする特産品に育った。


そういえば、昨年7月にこの近くに「世界的に名の知れた造形集団、海洋堂」のホビー館がオープンし、全国からマニアが見学に訪れている。





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社名の「無手無冠」は“冠におぼれず無駄に手をかけ飾らず”ひたすら小さな酒蔵を産地の栗だけで引き継いで量産しないそう。


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銘柄「四万十大正」プレミアム栗焼酎は35°、栗75%使用限定古酒。

※テイスティングノート
最初は徐々に甘さが口の中で広がり、アフターテイストで甘栗の風味が鼻に抜ける。
イモ、ゴマ、ソバ風味の焼酎よりは上品すぎてインパクトに欠ける。
加水すると単調になり特徴が弱まる。
「ストレート」で飲むのがベスト。



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四万十川:延長流路196km。四国で一番長い川。
日本最後の清流と言われたこの川も最近、石鎚山(いしづちさん)を源流とする「青の清流」と呼ばれる「仁淀川」に抜かれたそう、やはり近年多くの観光客が訪れてカヌーツーリングやオートキャンプ場、遊覧船の運行や川魚つりなどで、美しい四万十川も生態系に変化が起きているそう・・・。






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2012年04月23日


この島の名は八世紀頃、北方からヴァイキングが侵略して島の統治者になった娘の名前「ELLA」に由来する。
島民は「アイラ」、ゲール語で「イーラ」、英語で「アイレイ」と様々に発音される。
島の最南端から見るとその美しさから「ヘブリディズの真珠」と呼ばれている。
島を訪れるには、グラスゴーから双発小型機で40分もあれば着く。

私は、1972年に初めてレンタカーでキンタイヤ半島のケナクレイグよりフェリーでポートエレンに渡った。
海からの玄関口にある蒸溜所より麦芽の発酵した甘い香りが出迎えてくれた。
今はクローズして30年の月日が過ぎた・・・。
 
私の息子も学生時代にイギリスに語学留学していた時、アードロッサンからポートアスケイグに渡った。
フェリーから見るサンセットは息を飲み込んでしまうほど美しくドラマチック。
フェリーの船旅も良いものです。
 
「SCOTCH WHISKY」の著者、D.ディシェスの1974年発行本で「アイラウイスキーを飲みたくなったらラフロイグようにピート香の強くないラガヴーリンを好んで飲む」と話している。
 
日本に「アイラウイスキー」は70年代にラガヴーリンが輸入されたが数十年は泣かず飛ばずで人気が出ず、この頃は「スペイサイドウイスキー」にいくらでもうまいウイスキーが飲めたからアイラは一部の「ピートフリーク」に好まれ、ブレンデッドウイスキーの「マテリアル」にされた。
人気が出たのは2000年以後になる。



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ケナクレイグよりアイラ島に向う「カレドニアン マックブレインフェリー」ポートエレンまで2時間の船旅になる。強風さえ吹かなければウエストコーストの美しい風景を楽しみながら「ウイスキーの島」に着く。

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上空より見るラガヴーリン蒸溜所。海が荒れ出すと波頭が砕け、海藻も空中に舞い上がる。「風と時化に弄ばれる島」になり空も海も欠航する。島に渡るときはスケジュールに余裕を持って行くこと。

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アイラの蒸溜所は海辺にある。磯の香りを含んだ潮風や波打ち際の分厚い壁に守られた貯蔵庫で熟成中のウイスキーに何らかの変化を海が与えている・・・。


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ラフロイグ蒸溜所の元所長「イアン・ヘンダーソン氏」。彼に初めて会ったのは1975年グレンリヴェット蒸溜所の新人。まだ海から陸(オカ)に上がったばかりの船員さん、二度目はラフロイグ蒸溜所で所長になっていた。
1999年8月、彼が日本に来て店を訪ねて来てくれた時の写真。


 

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2012年04月17日


昔のバーテンダーは洋酒に関する「コレクション」をしている人が多かった。

メーカー商社の営業マンが「水差し、灰皿、トレイ、コスター、小瓶」などを「ノベルティ」として営業に持参してくれたものでした。
私も買ったり、もらったりで「小瓶」を「ウイスキーとブランディ」に限定して500本くらい集め店の中に棚を作り楽しんでいました。

ある時、1人の紳士が来店して、小瓶の棚に目が停まり、動かなくなりました。
名刺を出されて「小瓶コレクター」で有名な脇野辰夫さんでした。
その後、同じコレクター仲間として親しくしてもらい、鎌倉の脇野さん宅に見学に訪ねて行きました。
リビングの半分は棚に2500本以上のコレクションが整理されて、カテゴリー別に分類され驚きの声も出ませんでした。
それからの私はもう力が抜けてしまい、コレクションは、しばらく中止・・・。
脇野さんは「これで驚くな、外国のコレクターで2万5千本以上持っている人がいる。」とのことでした。

その後、現在の店に移転するときに、店の常連の方にプレゼントして喜んでもらいました。
その中には1992年、日本に105本だけ限定輸入された「Glenfiddich 50 Year Old.」が1本あり当時の小瓶の中で一番高価でたしか50000円以上したことを思い出しました。



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私はウイスキーとコニャックに限定して集めましたが、オランダのボルス社のガラスで型取された鳥類や動物シリーズが赤や青のリキュールで詰められていてカラフルなのでつい買ってしまいました。
モルトウイスキーは当時、数が少なくて集める苦労もありました。




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脇野さんのボトルをバックに写した写真はコレクションの一部です。
趣味の広い方で日本アイスホッケーの試合の解説やJOCの初期のマークをデザインしたり、王子ティシュ販売会社の社長として「ネピア」のネーミングもつけられたそうです。
残念でもう亡くなられて15年以上になりました。





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1975年4月スコットランドから空路でロンドンに着いて宿泊先を空港のインフォメーションで紹介されロンドンのピカデリーホテルのフロントで「バッタリ」脇野さんと出会って2人ともビックリ!英国出張とこの日「小瓶」を10本ばかり手に入れたので見せてもらって信じられない偶然を記念した時の写真です。
「サイゴンが陥落」した日でもありました。



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INFORMATION
DSC_0229-名刺用
STAG BAR KIMURA

1962年12月20日
北新地永楽町45番地で開店
1978年 7月20日
現在地イトヤビルに移転
2020年 1月24日(金曜日)
店を閉店致しました。
永きに渡りたくさんの方々より、 ご厚情を賜り、 感謝の気持ちとともに ここに厚く御礼を申し上げます

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