2012年03月
2012年03月26日
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日本バーテンダー協会(JBA)は、1929年5月に発足し、1932年3月に大阪で関西支部がスタートします。
私は、1959年9月にJBA関西本部の研究技術部長、千代澤英二氏に北新地の協会事務所に連れていかれ、会員入会手続きをした。
私の師匠、千代澤氏は忙しい人で昼は「大阪バーテンダースクール」と「富士バーテンダースクール」の講師もしていました。
関西には「JBA」以外に1955年にJBAから分離した「ANBA」全日本バーテンダー協会もありました。
当時はカクテルやハイボール全盛時代で、本部は東京から九州までは関西本部だけしかなく関西は四国,中国,北陸まで統括して、大阪だけでも会員は1000名以上もいましたから、地方で新支部が設立されて、役員は忙しくなりバーテンダーを新支部に送り込んでいました。
東京でJBAは1929年5月1日に神田の「パリス」で発足し発起人たちが役員に選出されてキャビンバーテンダー出身の荻野直寿が就任した。1923年に京橋で本格バーを開店した。
荻野会長は人望のある人格者で1940年まで10年間務めて現役で鬼籍に入り日本は大変な時代に突入していきます。
日中戦争から太平洋戦争に多くの仲間たちも戦地に駆り出されいった。
職場があった銀座は“B29”の空襲で焼け野原になり1945年東京湾のミズリー号で日本は降伏文書に調印して戦争が終結した。

ガゼット(GAZETTE)
バーテンダー協会(NBA)の機関紙を発行されて、各本部支部の、
レポートやメーカー商社の新商品の紹介など。

関西本部記念誌(2000年発行)
2000年発行の役員名簿を見ると私の役職は関西本部副会長、
連合会理事,連合会公認審査委員など。
2012年03月19日
日本のバーテンダールーツを調べていくと、ホテルバーテンダーと外国航路の客船育ちの、キャビンバーテンダーに分かれる。
“お客さん”はどちらも外国人
客船育ちのキャビンバーテンダーの話では、当時の欧米人の仕事は楽だったと、外国人は自分のレシピを持ち、カクテル・ミックスの割合とか氷を多く、または、クラッシュアイスにする、氷をステアしてから、氷抜きにするとか、自分のオーダーに一杯飲むごとに、注文を付けた。
特にマティーニのオーダーを受けると好みがみな個性的で、カクテルブック通りに作れば全員のんでくれないと思った。
のちに下船して、銀座で仕事を始めると、町場のバーの客は、酒知識も少なく、カクテルを一気飲みしたりするので時間をかけて教えることにした。
そうしてカクテルは銀座の“モボやモガ”たちに好まれて広がっていった。
ホテルバーテンダーは明治の初め神戸では、「オリエンタルホテル」と横浜では「グランドホテル」がオープンした。
ホテルのバーから「バンブー」や「ミリオンダラー」カクテルが世界の港に、横浜発カクテルとして有名になり、シンガポールのラッフルズホテルから「シンガポールスリング」が日本にも伝わる。
東京帝国ホテルから「フジヤマ」カクテルが「Mt,Fuji」として、世界に発信されてイギリスのカクテルブックにも、レシピが載った。
町場のバーに、横浜グランドホテル出身の「浜田晶吾」が銀座「カフェライオン」に招かれ、大阪では同じ横浜グランドホテルのチーフバーテンダーであった、秋田清六が道頓堀松竹座前にオープンした「ライオンバー」に招かれ、経営は「うなぎの柴藤」で洋酒の輸入もしてたらしい。
秋田は横浜からカクテル名人が来たと有名になり大阪でも、金持ちに舶来文化が流れ込んでカクテルが流行していった。
新町のお茶屋から、皿を持ってコクテールを買いに来たと今でも笑い話のように語られています。
昭和4年5月東京で「日本バーテンダー協会」が15名の発起人と40名の会員が誕生する。
発起人はホテルバーテンダー出身者と陸(おか)に上がったキャビンバーテンダーで朝はイングリッシュ・ブレックファーストで朝食を済まして食後は英字新聞を読む“洒落者”が時代のトップを歩むカタカナ職業の先達たちで船出した。

日本バーテンダー協会発会日の会員 1929.5.1
全員タイ着用羽織袴の人もいる。
発起人15名 会員40名 計55名
“船長”は海軍兵学校出身の元航海長で船出した。

横浜グランドホテルのルーツを引き継ぐ東京会館のバーテンダー(1940年代)
(前列黒服)本多春吉、(右)浜田晶吾、(本多の左後)今井清
横浜グランドホテル時代、浜田は本多の師匠で、本多は今井の師匠。
2012年03月10日
ジェームズブキャナンは1849年スコットランド移民の子としてカナダで生まれる。
子供の頃に帰国して、リースのウイスキー商にブレンダーとして就職する。
35才の時フランスで発生した、フィロキセラ害虫のため、ワインやコニャックが生産停止状態になり、
代わりにウィスキーブームが到来して独立し財を成す。

James Buchanan (1849-1935)
で勝利、馬好きのウィンストンチャーチルに一国の首相よりも英国ダービーの勝馬の馬主になり
たいと、いわしめている。
ブキャナンのウィスキー「ロイヤルハウスホールド」は、日本ではよく知られているが、戦前のウィスキー
には下の写真、「レアオールド Rare old」の銘柄が有名でした。
ブレンテッドウイスキーで25年熟成の高級品でした。

[Rare old ]25years old Blended scotch whisky
(ジェームズブキャナン社)
えらく、イントロが長くなり、題字のボトルを見てください説明しなくてもわかりますよねー。
1940年11月発売され1981年には、なんと1170万ケース(約1億4千万本)を売った
「お化けウィスキー」今後も世界のウィスキーでこの販売量を抜く銘柄はないでしょう。
だがこの商品もこの年をピークに焼酎に蹴飛されて「だるまさんが転んだ」と転げ落ちて急落する。
これから30年間ウィスキーは焼酎に「ナショナルドリンク」の座を奪われ、ヤツと会社は角ハイボール
のCMをメディアに流し、角ハイボールブームを作り、昨年は、約50年間も赤字をたれ流して
いた「ビール」も黒字になり強気です。
さらに、今年から売上目標を商社のように3兆円、3兆円とアドバルーンをあげました。
どうぞ酒類では売上をあまり頑張らずに、お茶やサプリメントをたくさん売って人々を健康にしてくだ
さい。ウィスキーは手間暇かけて“気なが”に造ってください。
昔、成功したからと言って、また「二本箸作戦」とやらで、寿司屋、お茶屋にウィスキーを
売り込まないでください。
あれで、ウィスキーの良いイメージを潰されました。
昔、スコットランドの蒸留所で、働く人たちにウィスキーをどのように飲んで欲しいのか?と訪ねたら、
「飲み方にルールはない。出来ればストレートで味わって風味を強く感じれば ツワイスアップ
(Twice up)で楽しんでほしい」との事でした。
Freedom an'whisky gang thegither,tak aff your dram !
-Robert Burns -





