2012年02月25日
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今日この頃、北新地のハードルが低くなっても、
祇園の中心には、まだ格式ある遊びの世界がある。
花街として伝統と格式を持つ祇園は敷居が高い。
一見では遊べぬ希有の土地なのです。
呼ばれる京都の茶屋を代表する一力亭に出かけました。
紅殻塗りの壁に、粋な木造建築が風格を高めます。
玄関をトントンとあがり案内され、広間に通されます。
塗り柱や美術館にあるような書や襖絵・・・。
ぼんぼりの淡い灯の中、元禄時代にスリップした感じです。
大石さんが隣の広間で井上流の舞を楽しんでいるんじゃないかと錯覚を起こし、
殿様や侍が腰の物をあずけて、伏見酒に酔い、舞妓の舞を心おきなく元禄の昔に思いを
はせていたら「蛤御門の変」により建物を焼失し、現在の茶屋は150年前に再建したそうです。
祇園「都をどり」を祇園甲部歌舞練場で観覧して花冷えする夜を「一力茶屋」で楽しんだ遠い昔の一日でした・・・。
京都祇園 一力茶屋にて
「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
浮世の月にかかる雲なし」
(大石内蔵助)
2012年02月22日
私が若かった頃、「クレー射撃」にハマっていました。
そのクレー射撃の選手の中に私の1年先輩ですが、ものすごい名手がいました。
その人は、麻生太郎。
福岡県飯塚市出身ですが、ホームグラウンドは埼玉県所沢にあった東京オリンピック射場でした。
この時代、福岡はスキート種目の「クレー射撃王国」と言われていました。
※クレー射撃の種目はスキート競技とトラップ競技があります。
当時の麻生選手の記録をピックアップしてみます。(スキート種目)
・昭和 48年 メキシコ国際射撃大会優勝 (197/200射)
・昭和 49年 アジア大会優勝 【開催地-テヘラン】(194/200射)
・昭和 51年 モントリオールオリンピック出場 (187/200射)
・昭和 37'47'50年 日本選手権優勝

上の写真は麻生さんの選手時代(30代頃)の写真です。
右側の口元が上がってますよね~。
これは、『射撃の後遺症』です。
銃のストックが射撃の反動で右側の頬を持ち上げるんです。
選手時代に、弾を100万発以上は撃っているはずですから・・・。
因みに、以下は私の記録です。
・昭和 48年 西日本選手権優勝
・昭和 60年 鳥取国体総合優勝
・昭和 61年 日本クレー射撃協会
日本ランキング1位(トラップ種目)
・平成 4'5'6年 近畿選手権優勝
国体優勝祝賀会(日航ホテル)

2012年02月11日
アーチェリーのミュンヘンオリンピック選手であった梶川さんが、
ある日、C.Wニコルさんと来店されました。
店内ではニコルさん、梶川さん、私の3人で話が弾みニコルさんが昔、ヒールのプロレスラーであったことや、
銃に対して造詣が深く英国の名銃「ジェームズ・パーディー」や「※グラウス・シューティング」の話になり、
さらには、ニコルさんが1982年に1ヶ月かけてスコットランドの蒸留所を訪ね歩き「ウィスキーキャット」という
本を出版したという話になりました。
(※グラウスは日本では天然記念物ですが、スコットランドでは“ゲームバード”で有名、保護鳥ではありません。)
私も1972年に同じ場所を回っていたので当時の様子を昨日のように思い出してしまいました。
話が盛り上がる中、気が付けばニコルさんは「ジュラ」のウィスキーをすでに半分も飲まれていました。
・グレンタレットのウイスキーキャット【タウザー(猫)20才の頃】
ニコルさんの取材したスコットランドの「ウィスキーキャット」は1984年講談社より出版され、
2002年河出書房新社より再出版されています。








