2019年08月21日
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7月8日の三重県上野射撃場の大会から、遠ざかっていた大会から、
私もこの8月の厳しい暑さの中8月は[NPK CUP]の大阪大会にエントリーしていたので、長い盆休みの最終日になった今週18日に練習をかねて、京都笠取射撃場で、銃砲店開催大会に参加した。
台風10号が日本海に抜けて「フェーン現象」が起き、熱風が吹き降ろし、新潟県では40.7度を観測して今年一番の暑さを記録した。
京都も関西を代表するほど、夏の暑さは有名です。
大会は10時からスタートして、トラップ種目は国際ルールとアメリカンの自己選択とスキートはJ ルールで大会はtrap&skeetの合同で、実射賞は各射面の国際、アメリカン、スキートの優勝者に他は混合でハンデ付きでスコア順で決まりです。
国際ルールは2組の参加者で私は1組からスタートした。
射台に入ると扇風機は回っているが、朝から暑い風をまき散らすだけ。
私は1ラウンド撃つごとに噴き出す汗のために、シャツを4枚用意したが足りません。
全員が撃つ度に、スコアを落とした。
4ラウンド終了後、なんと私が実射1位になってる、2位には日クレ時代の射友のKさんは、現在射撃絶好調です。
最終の「撃ち返し」で私は下手を撃って実射優勝の常連のKさんが1点差で撃上がり、各実射優勝者は1位だけで、2位はありません。
射撃場は熱戦を通り越して、熱中症で倒れそうな1日になった。
私もこの8月の厳しい暑さの中8月は[NPK CUP]の大阪大会にエントリーしていたので、長い盆休みの最終日になった今週18日に練習をかねて、京都笠取射撃場で、銃砲店開催大会に参加した。
台風10号が日本海に抜けて「フェーン現象」が起き、熱風が吹き降ろし、新潟県では40.7度を観測して今年一番の暑さを記録した。
京都も関西を代表するほど、夏の暑さは有名です。
大会は10時からスタートして、トラップ種目は国際ルールとアメリカンの自己選択とスキートはJ ルールで大会はtrap&skeetの合同で、実射賞は各射面の国際、アメリカン、スキートの優勝者に他は混合でハンデ付きでスコア順で決まりです。
国際ルールは2組の参加者で私は1組からスタートした。
射台に入ると扇風機は回っているが、朝から暑い風をまき散らすだけ。
私は1ラウンド撃つごとに噴き出す汗のために、シャツを4枚用意したが足りません。
全員が撃つ度に、スコアを落とした。
4ラウンド終了後、なんと私が実射1位になってる、2位には日クレ時代の射友のKさんは、現在射撃絶好調です。
最終の「撃ち返し」で私は下手を撃って実射優勝の常連のKさんが1点差で撃上がり、各実射優勝者は1位だけで、2位はありません。
射撃場は熱戦を通り越して、熱中症で倒れそうな1日になった。

京都五山の送り火
お盆を迎え墓参りをいって、先祖の霊を送る「京都五山の送り火」が16日夜から京都市内の五山の山々で、暗くなって東山の中腹から「大」の文字が最初に点火され、「妙法」「船型」「左大文字」「鳥居形」と点火された。
2019年08月02日
7月25日 天神祭りの日にSさんが来店した。
Sさんは昔、商社マンから大学教授になって、リタイアすると、商社時代の海外駐在地を訪れたり、関西の神社仏閣をまわり英国や日本史に造詣の深い方です。
三重県上野に20日(土)に行った事を話した。
「松尾芭蕉」と「映画 荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻」話題になった。
「1952年、シナリオ 黒澤明監督、森一生 荒木又右衛門 主役は三船敏郎 他には、1954年製作された、「七人の侍」の黒澤組の志村喬、加藤大介、千秋実の4人が出演した。
森監督は大映から東宝に移り、此の作品「荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻」を撮った後 大映に戻ります。
この作品は1952年1月3日の正月用に封切られたが興行成績は悪かった、森監督も黒澤明が撮れば、ヒットしただろうと。
黒澤監督は1950年「羅生門」で1951年ベネチア国際映画祭で「金獅子賞」受賞した。
1952年には「生きる」東宝作品でベルリン国際映画祭で、「特別賞」と受賞づいていたので、「戦後 時代劇は独占軍に睨まれて駄目になり」森監督は黒澤のシナリオには、忠実に仕上げて、現在(1951年)のバスの走る 鍵屋の辻の風景を時代劇に撮ったのは、失敗だったと話している。
興行的には失敗でも、作品は評価も高まり、黒澤も「シナリオで最も苦心しているのは立ち廻りで(チヤンバラ)の場面なんだ、今日で3日も徹夜している」この殺陣はシリアスで、後の黒澤作品の「用心棒」や「椿三十郎」のリアルな立ち廻りは「決闘 鍵屋の辻」の源流がある。
東宝創業者、小林一三の1952年1月4日に記された映画評を引用します。
「映画 荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻は力強い見ごたえのある性格俳優の芸そのものを生かし、芝居で見られない、又小説や講談でも表現出来ない、映画のみが持つ新しい深刻な模写的芸術として実に面白く出来上っているのに驚いてた。こうゆう映画は今まで見た事がない」
Sさんは昔、商社マンから大学教授になって、リタイアすると、商社時代の海外駐在地を訪れたり、関西の神社仏閣をまわり英国や日本史に造詣の深い方です。
三重県上野に20日(土)に行った事を話した。
「松尾芭蕉」と「映画 荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻」話題になった。
「1952年、シナリオ 黒澤明監督、森一生 荒木又右衛門 主役は三船敏郎 他には、1954年製作された、「七人の侍」の黒澤組の志村喬、加藤大介、千秋実の4人が出演した。
森監督は大映から東宝に移り、此の作品「荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻」を撮った後 大映に戻ります。
この作品は1952年1月3日の正月用に封切られたが興行成績は悪かった、森監督も黒澤明が撮れば、ヒットしただろうと。
黒澤監督は1950年「羅生門」で1951年ベネチア国際映画祭で「金獅子賞」受賞した。
1952年には「生きる」東宝作品でベルリン国際映画祭で、「特別賞」と受賞づいていたので、「戦後 時代劇は独占軍に睨まれて駄目になり」森監督は黒澤のシナリオには、忠実に仕上げて、現在(1951年)のバスの走る 鍵屋の辻の風景を時代劇に撮ったのは、失敗だったと話している。
興行的には失敗でも、作品は評価も高まり、黒澤も「シナリオで最も苦心しているのは立ち廻りで(チヤンバラ)の場面なんだ、今日で3日も徹夜している」この殺陣はシリアスで、後の黒澤作品の「用心棒」や「椿三十郎」のリアルな立ち廻りは「決闘 鍵屋の辻」の源流がある。
東宝創業者、小林一三の1952年1月4日に記された映画評を引用します。
「映画 荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻は力強い見ごたえのある性格俳優の芸そのものを生かし、芝居で見られない、又小説や講談でも表現出来ない、映画のみが持つ新しい深刻な模写的芸術として実に面白く出来上っているのに驚いてた。こうゆう映画は今まで見た事がない」
森一生監督は古巣の大映から勝新太郎の「座頭市」や時代劇の巨匠として活躍した。
三船敏郎主演「荒木又右衛門 決闘 鍵屋の辻」1952年東宝作品
荒木又右衛門の仇討ち映画は多くの俳優により、映画化されている。
1910年 尾上松之助 1930年 月形龍之介 1931年 大河内伝次郎 1934年 早川雪洲 1936年 片岡千惠蔵 1938年市川右太衛門 1958年 長谷川一夫
この三船敏郎の「決闘 鍵屋の辻」は本人も余り感動しなかったのか、1954年の黒澤監督の長編時代劇 「七人の侍」の「予行練習のようなもので、志村喬のじいさんも斬ったし、」と言葉少なく、三船敏郎の映画史の中でも多く語られていない。
黒澤明DVDコレクション 36 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻2019年07月22日
今年shooting club 9 の大会も、第1回目は3月の京都笠取射撃場からスタートして、今回は三重県の上野射撃場で5回目の大会に参加した。
7月20日(土)の朝刊は、台風5号の影響で、沖縄・九州は昨年の「西日本豪雨」以来の大雨になったと報じられた。
当日の早朝に小雨の中を出発した。
国道1号を大阪・京都・木津川を貫ぬくように走り、国道163号の伊勢街道に入った。
この街道は戦国大名の藤堂高虎が伊勢 、伊賀の二国に移封後に整備された街道です。
木津川沿い走ると昨夜までの大雨で溢れてた水は濁り途中の射撃場の小道は崖崩れが発生していた。
上野市に入り「日本三大仇討ち」のひとつ「鍵屋の辻の決闘」の碑を見ると「曽我兄弟」と「赤穂浪士の討ち入り」の事が書き記されていた。この荒木又右衛門の仇討ちは江戸期から講談や歌舞伎の舞台で演じられて有名になりました。
近くを通って、築城の名人、藤堂高虎が築いた上野城が早朝の雨も上がりに見かけたのですが、立派なものです。
本日は台風5号の影響、3組の参加者でスタートした。

当日の上野射撃場風景
クラブハウス内は2021年 「三重国体」クレー射撃場の会場になるポスターが貼ってあった。
来週28日に日クレの「近畿選手権」が奈良クレー射撃協会の開催で、スキート射撃場は早朝より関西からやって来た会員が練習中でした。
私は、スキート射撃場に見学に行くと大阪の射友に声をかけられて、上野射撃場は良く練習しに来ているようだった。
当日のトラップ競技は 日クレの4番セットで始まった。
実射1位・2位は、実射優勝常連のKさんとOさんで決まり 、私は総合の2位になって試合も早めに終わり、西名阪自動車道で100キロの道程をノンストップで帰り着いた。
7月20日(土)の朝刊は、台風5号の影響で、沖縄・九州は昨年の「西日本豪雨」以来の大雨になったと報じられた。
当日の早朝に小雨の中を出発した。
国道1号を大阪・京都・木津川を貫ぬくように走り、国道163号の伊勢街道に入った。
この街道は戦国大名の藤堂高虎が伊勢 、伊賀の二国に移封後に整備された街道です。
木津川沿い走ると昨夜までの大雨で溢れてた水は濁り途中の射撃場の小道は崖崩れが発生していた。
上野市に入り「日本三大仇討ち」のひとつ「鍵屋の辻の決闘」の碑を見ると「曽我兄弟」と「赤穂浪士の討ち入り」の事が書き記されていた。この荒木又右衛門の仇討ちは江戸期から講談や歌舞伎の舞台で演じられて有名になりました。
近くを通って、築城の名人、藤堂高虎が築いた上野城が早朝の雨も上がりに見かけたのですが、立派なものです。
本日は台風5号の影響、3組の参加者でスタートした。

当日の上野射撃場風景
クラブハウス内は2021年 「三重国体」クレー射撃場の会場になるポスターが貼ってあった。
来週28日に日クレの「近畿選手権」が奈良クレー射撃協会の開催で、スキート射撃場は早朝より関西からやって来た会員が練習中でした。
私は、スキート射撃場に見学に行くと大阪の射友に声をかけられて、上野射撃場は良く練習しに来ているようだった。
当日のトラップ競技は 日クレの4番セットで始まった。
実射1位・2位は、実射優勝常連のKさんとOさんで決まり 、私は総合の2位になって試合も早めに終わり、西名阪自動車道で100キロの道程をノンストップで帰り着いた。





